What’s New?  について

[森琴石]のホームページをCD化するに当り、最後のまとめにとりかかりたいと思います。

索引の充実及び画家系図のやり直しと並行し、諸情報のお知らせについては、平成23年12月より[What's New?]からご覧頂きたいと思います。

 [森琴石]の調査を開始してから13年経ちましたが、その過程に於けるさまざまなエピソードや苦労話などを、記録として残す必要があるとのご意見を頂戴しています。
調査情報ではお伝え出来なかった内輪的な事にも少々触れてみたいと思います。

ブログ形式の操作に不慣れな為、画像やイラストの挿入などがまだ出来ません。
徐々に覚えていきますので気長にお付き合い下さい。       2011年12月5日  筆者

カテゴリー: 最新情報 | コメントは受け付けていません。

中川貴川堂、遠山直亭、天童の大富豪、芝田浅次郎、岡田播陽、揮毫依頼、画会など(森琴石の日記:明治42年10月4日-6日)

2017年8月11日 更新

 

森琴石の日記
明治42年10月4日-6日)

 

日記に出る事柄、人物
中川貴川堂、芝田浅次郎
横山越山、遠山直亭、岡田播陽、伊良湖晴洲、平井直水

天童の大富豪、名古屋の名士
到来物
栗東寺での画会、枚方の画会、茶会
鑑定依頼、揮毫依頼
門弟、身内

 

明治42年10月3、4日、5日

明治42年10月3,4,5日

翻刻者=成澤勝嗣氏(当時神戸市立博物館勤務・現早稲田大学文学学術院教授、美術史家)

 

前欠 (注:10月3日と思われる)

○午前、中川貴川来ル

※中川貴川=書画斡旋「貴川堂」経営

 

明治四十二年
十月四日 晴

朝、前田稽古ニ来ル、

◎午前、杲田美稲来ル、額面画山水図揮亳属托有之

○午後、横山越山来ル、

○同夜、光吉令閨*被来、今回東京ヘ被引移旨、被申、来ル廿日頃、当地引拂引越之由

※前田=森琴石門下
※杲田美稲=森琴石2番目妻「ゑい」の甥・森琴石の画の斡旋を良くする
※光吉=森琴石の長男「雄二」の妻「梅子=旧姓入江・佐賀藩士の娘」の身内・大阪で医院開業
※令閨=令夫人


五日 雨

○午前、遠山直亭氏来訪有之、明六日天満寺町・栗東寺ニ於テ、画会開催ニ付出席依頼有之、承諾ス、

山形県東村山郡高擶佐藤荘右衛門属尺五青緑山水一、紙本半切米法、都合二枚   揮亳成功ニ付、小包郵便ヲ以、送ル

○西京・芝田浅次郎属、絹本画帖画、拾四枚揮亳成功ニ付、小包郵便ヲ以、送ル、

○早朝、春秋(?人名か)牧方画会之件ニ而罷越し、泊リ、帰路立寄、

○午後岡本仙次氏、被来、

※青緑山水=青緑などを主体とする極彩の山水画 
※遠山直亭=深田直城の門下
※芝田浅次郎=京都の美術商、芝田堂経営
佐藤荘右衛門山形県東村山郡高擶(現天童市)の大富豪。元山形県内で3本の指に入る大庄屋。佐藤家は現在も存続し天童市内観光ルートにと提案されている。
『南船北馬集. 第13編』(井上円了著編;  国民道徳普及会;出版: 大正7)
 http://www.toyo.ac.jp/text-db/text/INOUE15/15-01_nansenhokubashu13.txt
大正6年7月7日分に「佐藤荘右衛門が高擶村の富豪の長とする」という記述あり 。

 

十月六日 晴

○早朝、和田十冝茶会開催ニ付、罷越ス、

前田、稽古ニ来ル、

○作画会、岸本日東罷越し、来ル九日ヨリ開催之仝展覧会出品、受取ニ罷越ニ付吉村分二枚、西尾一枚、佐野二枚右山水画相渡ス、

○午後、ヤス伊吹堂ヘ療治ニ行、

杲田美稲罷越ス、菓子到来

伊良湖晴洲来ル

岡田播陽来ル、平井直水氏伝記之事ヲ草案致し、持参ス、同氏引取之後、右持参平井ヘ罷越し、草案相渡し置、

尾張・山川重蔵ヨリ、鑑定ニ送リ来シ対山画巻、小包ヲ以返送ス、

○播磨、来住藤吉氏ヨリ、過日送りシ蓬莱図潤筆、郵便為換ニ而送リ来る.
領収、同氏ヨリ鮎魚郵送到来ス、

※和田十宜※吉村・西尾・佐野=森琴石門下
※伊良湖晴洲=美術家
※岡田番陽=播磨出身の町人学者  孫岡田誠三氏のHPをご覧くださいhttp://www15.plala.or.jp/NET108/okadabanyo-youmeigaku.html
※平井直水=深田直城の門下・森琴石の親交者
※西尾、佐野=森琴石門下
※来住藤吉=播磨西脇の人・森琴石の作品所有者

 

十月七日 晴

〔後欠〕

 

 

 

 

カテゴリー: 森琴石の日記 (一), 資料紹介 | コメントは受け付けていません。

横山越山、建部聴山、伊良湖晴洲、竹式楼、萩尾九皐、西川桃嶺、世良田雨荘、泉州の実業家 他(森琴石の日記:明治42年8月21日-25日)

2017年7月23日 更新

日記の更新が遅れてしまいました
先月23日 親子ほど年が離れた私の(満代)長兄が亡くなりました>

 

森琴石の日記
明治42年8月21日〰25日)

日記に出る事柄、人物
横山越山、
建部聴山、世良田雨荘
伊良湖晴洲、萩尾九皐、西川桃嶺

竹式楼 泉州の実業家
大阪絵画会、南宋画会、東京出品画
門弟・身内多数
揮毫画・手本画、箱書き

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

明治42年8月24日〰25日

8月24日。25日

翻刻=成澤勝嗣氏(当時神戸市立博物館勤務・現早稲田大学文学学術院教授・美術史家)


明治四十二年
八月廿一日 晴

○早朝、明田月樵来訪有之、果物到来

前田幽琴、稽古ニ来ル、果物到来横山、越山来ル、

近藤・佐野・鎌田来ル、今日、南宗画会今日迄之総テ之計算致し、帳簿ニ明記持参見之、

○夕方、朝岡・福田来ル、

○早朝、ヤス建部併新堀十林ヘ行、

※明田月樵=森琴石門下
※前田幽琴=森琴石門下
※横山越山=書家・著書に『明治新撰十体千字文』
※近藤・佐野・鎌田=森琴石門弟
※朝岡、福田=森琴石門下
※ヤス=森琴石3番目の妻
※建部=建部聴山(建部六右衛門)、森琴石親交者・文人
※十林(とばやし)=森琴石2番目妻「ゑい」の身内

 

廿二日 晴

伊良湖晴洲来ル、今回之大火ニ付、類焼画家ヘ同氏発行之美術雑誌社ヨリ慰問致し度ニ付相談有之、賛成シ、画ヲ揮亳承諾ス、

○亡山田悦百ケ日ニ付、尊光寺ニ而仏事營ニ付ヤス、小児ヲ連参詣ス、

○午後、山田可祝子、ふく、小児ヲ連来ル、ヤス、同夜、竹式ヘ属托之花卉雙幅        持参、罷越ス

※伊良湖晴洲= 愛知の人・ 美術関係者
※山田悦・山田可祝子、ふく=森琴石3番目妻「ヤス」の身内
※竹式=室田竹武=室田虎之助 ・大阪大川の歴史的に名高い「竹式楼」経営者・

 

廿三日 晴

○午前、伊良湖、昨日之件ニ而来ル、自分意見ヲ述、夫ヨリ平井直水方ヘ同行罷越ス、伊良湖 荻尾桃嶺方ヘ罷越し咄合、自分意見之通相成、大阪絵画会委員会相開候様、相成旨、申来ル、

○午後、石野香南来ルニ付、南宗画会ヨリ類焼見舞金相贈ル、金員相渡、領収書受取置、夕方、奥田来ル、
○早朝、石橋雲来氏ヲ訪フ、早朝、ヤス木蘓氏ヘ中元、下婢連、罷越ス、

※平井直水=大阪の画家・深田直城門下・森琴石と親交
※萩尾=萩尾九皐(きゅうこう).・福岡県八女出身の画家・深田直城(森琴石親交者)の娘と結婚
※桃嶺=画家 西川桃嶺の事か?
※石野香南=森琴石門下
※奥田=森琴石門下
※石橋雲来=漢詩家・森琴石親友
※木蘇=木蘇岐山・岐阜の漢詩家

 

八月廿四日 晴

○午前、室田竹式氏、令嬢同道罷越し、過日相渡候花卉雙幅画潤資持参、領収ス
令嬢揮亳致手本画紙本四ッ切二枚、席上揮亳乞ニ付揮亳致、相渡ス、猶、幅函書依頼有之、謝儀領収ス

○午前、世良田雨荘氏来ル、類焼ニ付、当時大手筋御拔筋東、田村方ニ寄寓致候由、類焼見舞品団扇ヲ呈ス、

○杉山山田ふくノ老母来訪有之、山田ふく之家之義ニ付、咄合有之、ヤス面会ス、

○昨日、泉州佐野村山本藤兵衛氏ヘ中元物品団扇古妻・道下両氏ヘ団扇、小包郵便ヲ以、相送ル、

※室田竹武=室田虎之助 ・大阪大川の「竹式楼」経営者?
備考:竹式楼の資料
…・・・・・明32年5月に開催された茶会の図録『竹荘茶醼図録』に、森琴石画2幅掲載
※世良田雨荘=世良田信明・名古屋の人・新田義季の後裔・著書『雨荘居士削残余稿
※田村=田村甚吉

※山本藤兵衛=泉州佐野の実業家※古妻=佐野村の大地主・商人
※山本、古妻、道下=『日本における産地綿織物業の展開』に名が出る 

 

八月廿五日 晴

早朝、野口琴渓稽古ニ来ル、東京出品画持参ニ付、鎌田ヘ差遣ス
西尾雪江来ル、東京出品画持参、鎌田ヘ差遣ス、
午後、乾李渓罷越ス、東京出品画持参ニ付、鎌田ヘ差遣ス

※野口琴渓、西尾雪江、鎌田梅石=森琴石門下
※乾李渓=画家

 

 

 

カテゴリー: 森琴石の日記 (一), 資料紹介 | コメントは受け付けていません。

九州北部豪雨のお見舞い

2017年7月7日

 

九州北部豪雨のお見舞

 

九州北部を中心に発生した豪雨により
被災された地域の皆さまに、
謹んでお見舞い
申し上げます。

災害の復旧が一刻も早く行われ、
くれぐれも健康に留意されますよう
心よりお祈り申し上げ
ます。

 

カテゴリー: その他 | コメントは受け付けていません。

田能村竹田の鑑定、辻東山・若林松谿・佐竹藍川・石尾松泉・河野竹堂他多数(森琴石の日記:明治42年8月12日‐20日)

2017年6月16日 更新

 

森琴石の日記
(明治42年8月12日‐20日)

日記に出る事柄・人物
田能村竹田の鑑定
師匠鼎金城の菩提寺へ類焼見舞
伊藤渓水・佐竹藍川・石尾松泉・米田如山・若林松谿
辻東山・
河野竹堂・鳥居断三
大和美術新報社・日本美術新報社・南宋画会・作画会・羅災画家の慰問金や寄付画
商家
地方の名士
揮毫画依頼多数
門弟多数・身内多数

 

明治42年8月12日 13日

 

翻刻=成澤勝嗣氏(当時神戸市立博物館勤務・現早稲田大学文学学術院教授、美術史家)

八月十二日 晴
○午前、ヤス宮地・岡田・佐々木ヘ近火見舞之礼ニ行、夕方、ヤス光吉ヘ行、
午前、毛受氏来訪有之、中元到来 朝岡、類焼見舞之礼ニ来ル

○午後、杲田老夫婦来ル、杲田、上福島ニ而宅出来候由

○午後、松山氏被来、過、渓水揮亳人体図潤筆持参ニ付、受取置、
夕方、ヤス渓水方ヘ罷越、相渡ス、

※ヤス=森琴石の3番目の妻
※岡田=岡田播陽と思われる
※光吉=森琴石の長男雄二の妻「梅子」の身内・大阪で医院を開業

※毛受=門下、毛受(めんじゅ)楽斎の事
※朝岡=森琴石門弟
※杲田=森琴石2番目妻「ゑい」の身内
※松山=松山晩翆。森琴石喜寿祝賀会の幹事総代を務めた。
※渓水=伊藤渓水 愛媛出身の画家 ・平井直水の弟子

 

八月十三日 晴
福田梅渓、過日ヨリ東京親族ニ用向有罷越し、昨夜帰宅之由ヲ以、罷越し、堀木ヘモ立寄呉候由、、病気矢張不宜由、帰路岐阜ヘ立寄候由、ヨリ団扇五本事傳、持参ス。

○小樽・雄二ヨリ大火ニ付、類焼杲田二軒、山田ふく山崎ことへ見舞トシ金五円送リ来リ、夫々ヘ贈リ呉候様、申来ル、

大和美術新報社槙岡罷越し、明十四日茨木ニ而画会開催之処、同地方炎暑、降雨無之為農家大心配、時期不宜、延期之由申之、紙本聯落画壱枚相渡ス、品物到来、

米田如山氏来ル、

※福田梅渓=森琴石門弟
※昇=森琴石長女
※堀木=昇の夫の姓
※辻=辻東山・禅宗の僧侶・著書に『隠山録』・
金宝歴代録など
備考:岐阜の金宝山瑞龍寺は、森琴石のスケッチに記録あり
※雄二=森琴石の長男
※山田ふく・山崎こと=森琴石3番目妻「ヤス」の身内
※米田如山=美術家・森琴石喜寿祝賀会の幹事総代を務めた

 

十四日 晴

午後地震有之、大ナリ、夫ヨリ小、時々震ス

○早朝、自分、ヤス、小児同道、福島五百羅漢ヘ罷越シ、先師金城先生*之墓、今回之大火ニ而如何相成候哉、見ニ行五百羅漢類焼致ス右墓牌無難、住職ニ面会、右墓所之義依頼致し置、類焼見舞トシ、五十銭収ム

夫ヨリ山崎こと方ヘ立寄、雄二ヨリ類焼見舞金送リ壱円送リ越ニ付、右ことへ相渡し、帰宅ス、

○午後、備前三石椙(杉)元素石竹田梅花書屋之大幅持参、鑑定ヲ乞ニ付、見之、偽

○同夜半、北踏切北出火有之、大井ニ混雑ス、

杲田美稲、上福島鉄道一間踏切北ニ而家有之(光本之借家)今日是ヘ引移ル、

※五百羅漢=大阪の上福島の妙徳寺の通称・五百羅漢が祀られていた
※鼎金城=琴石の画の師・妙徳寺に墓所があった
※三石=岡山県の地名
※杉本素石=画家
※田能村竹田=江戸期の画家  備考…森琴石の鑑定結果=素石が持参して来た田能村竹田の画は偽物
※杲田美稲=森琴石2番目妻「ゑい」のいとこか? 森琴石の画の斡旋者
※光本=光吉の間違いと思われる

 

八月十五日 晴

○今晩一時頃、北野茶屋町高野竹堂氏北隣出火、一戸全焼致しに付、早朝、高野・光吉・村田之三軒、近火見舞ニ罷越ス、

◎午後、作画会罷越し候、岸本日東、前之分変更、第二流之諸氏之画会トシ、其補助トシテ揮亳致候付、承諾、尺三・一枚、半切二枚、此謝儀領収ス、菓子折壱到来

◎夕方、平野町五丁目淀屋橋筋北・沼田半次郎ト申人河野添書ヲ以罷越し、絖本ニ枯木竹石合作、枯木揮亳依頼ニ付、承諾ス、謝儀領収ス、

○午後山田ふく子山崎捨三氏、罷越し、小野氏土蔵ニ預ケ有し品、引取ニ付、右暫時預リ呉候様、依頼、承諾シ運ビ来、預リ置、ヤス小野ノ土蔵ヘ罷越シ見分ケス

杲田ヨリ、大火之節預リ置候長持、受取ニ来ルニ付相渡ス

※高野竹堂=書家
※村田=村田香谷
※沼田半次郎=沼田夷服廛(読み=ぬまだいふく店…洋服の仕入れ業)

 

八月十六日 晴

早朝、石尾松泉ヲ訪フ、
○午前、和田柳渓来ル、同人画会之画尺五絖本画十枚、相渡ス、魚到来、

岡山平田謙五郎氏之属托画、帛紗*其外小包郵便ヲ以、相送ル、

○午後、河野竹堂氏来ル、一昨日之出火之見舞謝礼

○午後、山崎捨三氏来ル、

藤谷伊太郎来ル、自画・夏雨初晴図幅、函書依頼有之、

※石尾松泉=森琴石と同門=画:忍頂寺静村、儒学:妻鹿友樵に学ぶ
※和田柳渓=画家
※平田謙五郎=岡山県賀陽郡の戸長・税務署長
※河野竹堂=備後三次生れ。明治33年頃、大阪支北区北野町で医院を開業。北野町は森琴石の近所。

 

十七日 晴

○午前、朝岡来ル、過日預リ置、瑞芝之如意返却、渡ス

○午後、光吉氏来訪有之、

○美濃大垣鳥居断三氏、播磨来住藤吉氏、山梨県志村勘兵衛氏、右三軒之時候見舞トシ、団扇六本宛、小包郵便ヲ以、相送ル、

○夕方、ヤス北川熊次郎氏方ヘ近火見舞傍、団扇呈シ罷越、石尾ヘ立寄、

山田ふく罷越、家財取調、見分ケヲ致ス、

◎尾張山川重蔵ヨリ半切蘭竹図属托申越ス、承諾返書差遣ス、謝儀領収、

※鳥居断三=岐阜大垣藩の元家老・森琴石の心友。
※志村勘兵衛=東山梨郡日川村(山梨市歌田)の素封家・明治天皇行幸の際、同家が御休所となった
※北川熊次郎=大阪共立銀行の関係者

八月十八日 晴

○午前、若 林松谿ヨリ火災罹災画家ヘ慰問金ヲ贈ル寄附画二枚、受取ニ来ルニ付、相渡ス
岸本日東罷越し、作画会之画、社中ニ而三枚揮亳依頼ニ罷越ス、

杲田美稲来ル、避難之致候礼ナリ、

○名古屋・小川隆吉氏ヨリ、鳴海一反贈リ来ル

○東京・堀木芳之助ヘ中元品種々小包郵便ヲ以、相送ル、

※若林松谿=岡山県福山出身の画家・藤井松林の弟子
※社中=森琴石の一門の事
※堀木芳之助=森琴石長女「昇」の夫・銀行に勤務・堀木家は四日市の大地主。

 

十九日 晴 同夜之中、降雨

○名古屋・小川隆吉氏ヘ、鳴海絞一反到来之返礼トシ、団扇六本小包ヲ以、送ル、

○平野町丹金令閨*、近火之見舞トシテ来訪有之、菓子到来

木蘇岐山翁来ル、石野香南類焼致ニ付、知己(詩会之人々)ヨリ半切画会、来月十四日開催前後策致シ遣候様相成ニ付、補助承諾致呉候様依頼ニ付、承知ス、

吉村清琴来ル、岸本日東ヨリ依頼之画絹本三枚、相渡ス、且、同謝儀も渡ス、

◎岐阜・辻東山ヨリ、過般相送リ候画之潤筆送リ来リ、絹本尺五・十二枚送リ来リ属托有之

※丹金=屋号「山口金匠堂」・貴金属細工商
※令閨(れいけい)=他人の妻を言う敬語、令夫人
※木蘇岐山=岐阜の漢詩家・森琴石と親交
※石野香南=森琴石の門下・漢詩の師匠は木蘇岐山
※吉村清琴=森琴石門弟・女流

八月廿日

昨夜ヨリ久々降雨、今晩大雨、後晴

○午前、佐竹藍川来ル、中元持参到来ス、

南宗画会ヨリ、石尾松泉ヘ類焼見舞トシテ金貮円贈ル

○西京・日本美術商業新報社・入江久次郎罷越し、暑中見舞擴告料・金五拾銭相渡ス、

○夕前、石尾松泉氏罷越ス、○丹青堂来ル、

◎播磨・来住藤吉氏ヨリ干瓢贈リ来ル、猶、尺巾・二尺五寸位山水図壱枚揮亳属托有

佐賀県杵島郡六角村大字東郷吉村越臣氏ヨリ、自書小切一枚?湯呑壱個贈リ来ル、謝状差遣ス、

※佐竹藍川=香川の画家
※丹青堂=大阪の書道具・美術商、現存
※来住藤吉=播磨の人・森琴石の作品所蔵者

 

 

 

 

 

カテゴリー: 森琴石の日記 (一), 資料紹介 | コメントは受け付けていません。

中村竹洞の鑑定、石橋雲来・鳥居断三・杉浦芳嶺等が記載:森琴石日記(明治42年8月8日‐11日)

2017年5月17日 更新



前回   森 琴石の日記:明治42年 8月3日―8月7日  の続き

 

森 琴石日記
明治四十二年 八月八日~八月十一日)

 

出来事、登載人物
火事見舞い(北の大火)多数
石橋雲来、鳥居断三
和田柳渓、小川隆吉、大森易次郎佐々木嘉蔵、杉浦芳嶺、西村源七中村太華
播州の画会
揮毫依頼多数
鑑定=中村竹洞
衛星掃除
門弟、身内多数

 

 

 8月8,9日

 翻刻=成澤勝嗣氏(当時神戸市立博物館勤務、現早稲田大学文学学術院教授)

明治四十二年八月

八日 晴
野口琴渓、稽古ニ来ル

高橋祐次郎氏来ル、竹洞前画*墨竹図 幅持参、鑑定被乞、見之、宜、

◎午後、和田柳渓罷越し、過日播州ニテ画会相開、右画不足ニ付、猶揮亳依頼、絖本拾枚持参、謝儀添、相頼ニ付、承諾致し遣ス、

○火災後大混雑ニ而、属托品揮亳不出来、今日ヨリ揮亳ヲ始ム

※野口琴渓=森琴石門下
竹洞=中村竹洞=名古屋の人、江戸時代の画家
・・・備考:竹洞の作品の鑑定結果は良

※前画=若い頃の作?
※和田柳渓=画家
※火災=明治42年7月31日未明に起こった火事。北の大火、天満焼けとも言う

 

八月九日 晴
○早朝、朝岡類焼避難、西寺町・寺ニ致被居ヲ訪フ、石橋雲来氏ヲ訪フ

○名古屋小川隆吉氏ヘ、過日送リ来候松林遊馬幅返却、小包ヲ以相送ル、扇子米法山水壱本呈上、共ニ送ル、

○夕前、ヤス薭島小嬢乳母方ヘ、小児召連罷越ス

○青森県五所川原佐々木嘉蔵氏ヨリ火災見舞トシテ品物料二円送リ来ル、謝状出ス

※朝岡=森琴石門下 
※石橋雲来=大阪の漢詩家、晩年は明石(江井ヶ島)に住む・森琴石の親友
松林遊馬幅=趙子昂(元代画家 馬画の名手)の作品
※ヤス=森琴石3番目の妻・鯖江士族の娘
※稗島=地名

 

十日 晴
○早朝、平井直水氏ヲ訪フ、

○美濃大垣・鳥居談三氏ヨリ、為火事見舞金五円贈リ来ル、

○明日、衛生掃除之処、延期相成、同夜、八幡筋藤原氏罷越し、過日申来し

○屏風之義ニ付、同夜罷越し、絹張裏箔*ニ嵐山箕面揮亳ニテ、潤筆各々談合之上           結ル処、百三拾円ニテ揮亳可致聞着相成

※平井直水=大阪の画家・深田直城門下・森琴石と親交
※鳥居断三=元大垣藩家老。森琴石の心友。
※裏箔=絹の裏から金箔を張って描く絵

 

十一日 晴
近藤翠石来ル、松山依頼之見本画持参、預リ置、

大森易次郎来ル、市田来ル

佐々木為助来訪有之

○播磨・杉浦芳嶺ヘ属托之石壁*対聯*小包ヲ以送ル

○広島県仁方村・手島素岳ヘ、小切画梅石ノ分共送ル

○伊勢・西村源七ヘ、属托之尺八松鶴図小包ヲ以、相送ル

○美濃国八幡町・中村太華氏ヨリ、大火見舞トシテ品物料金貮円贈リ来ルニ付、謝状出ス、
※近藤翆石=森琴石門下
※松山=美術家・森琴石喜寿祝賀会の幹事総代を務めた
※杉浦芳嶺=明治時代から昭和初期にかけて現在の兵庫県播磨を中心に活躍した刳物師(くりものし)
※石壁= 赤壁の事か?
※対聯=対になった細長い作品
※手島素岳=森琴石門下

 

 

日記中の固有名詞は、森琴石HP トップページ googleカスタム検索機能、ブログwhat’s newでの検索機能でお調べ下さい

 

カテゴリー: 森琴石の日記 (一), 資料紹介 | コメントは受け付けていません。

石谷・静邨の鑑定、木蘇岐山・山岡米華・伊藤渓水・平井直水・川崎墨渓・仁尾重実等記載:森琴石の日記(明治42年8月3日‐7日)

2017年5月6日 更新

 

森琴石の日記 は
●森琴石の孫 森 加津(結婚後 西藤姓)が、婚姻時に持参した「雛道具」の包み紙に使用したものが残っていました。

●日誌は明治42年8/3 ~10/7、明治45年2/15~7/31、大正元年8/1~10/5までの分が断片的に残っています。

●日誌は平成11年秋、森 加津の二女飯田知子様よりご提供頂きました。

●日記には多くの情報が含まれています。

●日記に搭載する人物の特定に力を注ぎたいと思っていますが、森琴石HP及びブログの筆者の私(森 満代)は背面痛(xx症候群?)の治療中で、まだ余り無理が出来ません。
従って、次回からの更新は少々遅れる事をご承知置き下さいますようお願い致します。

●日記の原文の翻刻は、平成11年秋〰平成12年春、当時神戸市立博物館勤務の成澤勝嗣 先生(現早稲田大学大学院教授)に多大なご協力のもと実現致しました。

●翻刻文の下には ※青色文字 で簡単に注釈を加えています。

●日記中の固有名詞は、森琴石HP トップページ googleカスタム検索機能、
ブログwhat’s newでの検索機能でお調べ頂ければと思います。

 

森 琴石日記
明治四十二年 八月三日~八月七日分)


日記 に出る事柄、人物
北の大火
木蘇岐山
松山晩翠、山岡米華、伊藤渓水、平井直水、川崎墨渓
大和美術新報社主、西京新聞記者、東京南宗画会
仁尾重実
来住藤吉、田村甚吉、森重助(売薬商)、藤原(骨董商)
門弟、身内
鑑定=谷(王翬)忍頂寺静邨
揮毫依頼多数

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

明治42年8月3、4,5日

日記 明治42年8月3,4,5日

日記の翻刻=成澤勝嗣氏(当時神戸市立博物館勤務・現早稲田大学文学学術院教授、美術史家)

明治四十二年八月三日

前欠
○右謝状差出ス

○播磨・来住藤吉氏来ル、過日相送リ候松林山水額画十六枚横、潤筆、為換ヲ以送来ル。

山田可祝子、天下茶屋山崎捨三氏方ヘ引取ル

石野香南来ル、類焼ニ付、今日ヨリ住吉知人方ヘ一家引越旨申之

○夕前ヨリ、ヤス森重助 避難先松山ヘ罹炎見舞ニ行

○今日も引続混雑シ罷在也

住(きすみ)籐吉=兵庫西脇の人、森琴石の作品所蔵者
※山田可笑祝(かしこ)=森琴石3番目妻ヤスの身内
※山崎=森琴石3番目の妻ヤスの身内、鯖江の人
石野香南=森琴石門下
※類焼=明治42年7月31日未明に起こった火事。北の大火、俗に天満焼けと称す。
以下にある羅災・火災等の記述はこの大火災の事を指す
※ヤス=森琴石3番目の妻、鯖江士族の娘(旧姓山田)
※森重助=大阪の売薬商。森家の身内か?(下に画像)
※松山=松山晩翆の事か?

 

四日 晴
○諸方ヨリ火災見舞来訪、人多ク有之、

○過日、松山晩翠氏ヨリ人体画揮亳候とて、伊藤渓水ヘ相託候処、揮亳出来ニ付、
直接松山ヘ差出サセ候事

松山晩翆=美術家・森琴石の喜寿祝賀会の幹事総代を務めた(下に画像)
※伊藤渓水=大阪の画家・四条派

 

八月五日 晴
木蘓岐山翁来訪有之

平井直水氏来訪有之

川崎墨渓外一人、同道罷越し、静邨翁鑑定ヲ乞、見之、不冝(消)、偽
山田ふく、天下茶屋手前に而家借リ請、引移旨申之

○同夜、八幡筋御堂筋西ヘ入、骨董商藤原氏来リ、屏風揮亳ヲ乞、潤筆
問合有之ニ付、百五十円と相答置

※木蘇岐山(きそ きざん)=岐阜の漢詩家・森琴石と親交
※平井直水=大阪の画家・深田直城門下、森琴石と親交
※川崎墨渓=愛知生まれ・写生派の画家
※忍頂寺静屯=森琴石の画の師匠    (注 森琴石鑑定=静屯の画は偽物)
※山田ふく=森琴石3番目妻ヤスの身内

 

六日 晴
○早朝、石尾氏ヲ見舞、

田村甚吉氏、火災見舞ニ被来、品物到来ス、

杲田耕次郎来ル、

○伊豫平城仁尾重実ヨリ、石谷*山水幅送リ来ル、偽物ニ付、直ニ小包ヲ以、返却ス

近藤家内来ル

※石尾=森琴石門下 石尾松泉
※杲田(こうだ)=森琴石2番目の妻ゑいの肉親
※石谷=王翬、明末清初の文人画家   (注 森琴石鑑定=石谷の画は偽物と記述
※仁尾(にお)重実=土佐 柏島水産補習学校校長
四国のやまなみ と言うサイトの中、
・特別読物 
正岡子規著『病 牀 六 尺  全 の始めの方に、柏島水産補習学校についての記述あり。徳富蘇峰の資料に名が出る。
※近藤=森琴石門下近藤翆石の事 

 

八月七日 晴

○火災後、今日迄混雑致シ、見舞人多ク一々記スヲ得ズ

東京南宗画会、九月二日ヨリ三十日迄、展覧会開催致ニ付、出品之義、山岡米華*ヨリ依頼越ニ付、近藤・西尾・鎌田・吉村ヘ出品通知致ス

○同夕、大和美術新報社主・槙岡西京新聞記者・石川同道罷越し、
美術上之意見ヲ聞ニ付種々相話ス

山岡米華=高知県出身の画家・大展審査員
※近藤・西尾・鎌田・吉村=森琴石門下

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

森重助の資料
『大阪商人・その土性骨のうつりかわり』 
・・(宮本又次著(明治15年1月19日版復刻 中外書房)
付録『浪華の魁』
(明治15年1月 垣貫一右衛門編輯)
・・・・
北区の部に氏名あり(下画像の中ほど)

・・・・・・・・・・堂島中通二丁目 売薬商 森重助(小西堂事)

森重助(売薬商)

 

松山晩翆の資料
森琴石喜寿祝賀会 招待状の末尾幹事総代に松山晩翆の名

喜寿祝賀会準備文(幹事総代‐晩翆の名)

 

 

 

 

 

 

 

上記日記内の、人物などについての情報は、
森琴石HP トップページ google カスタム検索機能,
ブログwhat’s newでの検索機能にて適宜お調べください

 

 

 

 

 

カテゴリー: 森琴石の日記 (一), 資料紹介 | コメントは受け付けていません。

京都泉屋博古館:森琴石の-山水画帖-が展示

2017年4月14日 更新

 

京都鹿ケ谷 泉屋博古館
森琴石の -山水画帖- が展示

 

京都鹿ヶ谷「泉屋博古館」で開催中の展覧会
[楽しい隠遁 山水に遊ぶ―雪舟、竹田、そして鉄斎]

 場所  :京都鹿ヶ谷 泉屋博古館
会期  : 3月4日(土)~5月7日(日)
休館日 :月曜日(ただし、月曜日が祝日の場合は開館し、翌平日休館
    ・・・・・展示替え期間、4月25日(火).
開館時間 :午前10時→午後5時(入館は午後4時30分まで)
入館料  :一般 800円/高大生 600円/中学生 350円(小学生以下無料)

 ★詳細は https://www.sen-oku.or.jp/kyoto/program/ をご覧ください

 

森琴石に関する展示
岡村ゆかり氏 のブログより下に転載させて頂きました

“山水を楽しむ” では、
室町期、狩野元信門下の実力者・長吉の「観瀑図」、高橋由一に西洋画を習った森琴石の「青緑山水図」が美しく幕末京都の文人画家・中林竹洞の「赤壁図」には幾何学的な表現のおもしろさがあります。池田桂仙が描いた「桐木地網代張器局」は茶道具を収める箱、憧れの一品です。なるほど中国絵画に登場する太湖石の実物もありました。

 

 

 

 

カテゴリー: 展覧会・講座・掲載情報 | コメントは受け付けていません。

有馬の近代教育の礎を築く…森琴石実父「梶木源次郎」

2017年4月4日 更新

 

有馬の近代教育の礎を築いた
・・・・   森琴石実父「梶木源次郎」

 

●森琴石の実父梶木源次郎は、幕末~明治初期の有馬に於いて、土木事業や物産振興など多岐にわたり多大な業績を上げた人物です。この度、明治初期に‐有馬の小学校創設の礎を築いた‐資料を入手しましたのでご紹介致します。
●森琴石の実父梶木源次郎の発想・行動力の背景はどのようなものだったのだろう!
ますます興味を引きます。
義父(舅)寿太が書き残したものに「梶木源次郎は、出石の仙石騒動後、身内の森猪平(後年、森琴石の養父となる。大阪での通称は出石屋善蔵、自称出石屋棄造と名乗る)らと出石を出た」とある。
有馬に住みつく以前の梶木家、梶木源次郎について探ってみたいものです。
●森琴石は、実父梶木源次郎のDNAを、芸術(南画・銅版画)・教育(教科書等の著編者)分野で発揮した。

 

 

『有馬郡誌 下巻(町村誌)
編者:有馬郡誌編纂管理者 山脇延吉
発行者:坂本広三郎
発行年:昭和4年9月10日・昭和49年3月15日

該当箇所
三 有馬町誌
(85頁の中ほど 梶木源次郎が記載黄色でマークしています。
・・資料の原文中、一部の漢数字はアラビア数字に、旧漢字は当用漢字に置き換えています)

教育

イ,幕政時代
[寺小屋]念仏寺魁山・福永治兵衛・谷本吉兵衛・梅村雅次郎・次いで菅原周音等町家の子弟を集め 習字を教授す。平仮名・名頭・国台・商売往来・往復文等にして多き時は三十人、少なき時は十人内外なりき。珠算は松原吾市較、高尚なるは田中常宅教授す。子弟何れも十数人なり。明治4年春頃、県下美嚢郡野瀬村より、医師藤野藤一氏来りて、開業の傍ら漢籍を教授す。即ち小学・四書・十八史略等にして、子弟は十数人なりき。留まる事1年余、次に京都より伊藤経次郎来りて、国語漢文を教授す。子弟十数人に過ぎず。留まる事1年余なり。

ロ,小学校令発布後
〔小学校〕明治6年11月6日創設、有馬町立湯山小学校と称す。これより先、明治3年1月当戸長梶木源治郎の主唱によりて、従来の寺子屋教授を廃し、町内報恩寺内本堂の一部を以て、仮教場に充て、生徒十数名を集め、三田旧藩士松原金衛門を招し、無等科無制限にして、読書・習字・算術を授けしにより、漸く設備の端緒を見るに至りしなり明治5年8月学制発布せられたるを好機とし、設備を拡張し、本県令の許可を得て、湯山小学校と称し漸く普通教育の施設を開く。明治15年5月、小学校綱領の頒布に基き、有馬郡第2番学区町村立湯山小学校と改称し、その科程、初等・中等各3ヶ年とし通じて6ヶ年の学期に設備変更す。明治18年8月、小学校令の改正に従い、中等科を廃す。校舎頽廃用に堪えざるに至りしによりしにより、元、清凉院に移転す。明治20年4月1日、19年4月の小学校令により、十番学区湯山町立湯山尋常小学校と改む。明治24年4月1日、卒業者補習の必要を認め、温習科を増設す。明治26年11月12日、校舎を改築す。明治29年7月5日、湯山町を有馬町と改めしにより、有馬町立有馬尋常小学校と改称す。明治34年4月1日、有馬尋常高等小学校と改称し、高等科を併置して現在に至る。

創立以来の入学生並びに卒業生下記の如し
明治20年迄の入学生平均18名、卒業生平均10名、 明治30年迄入学生平均37名、卒業生22名、明治40年迄入学生平均65名、卒業生36名、45年迄入学生平均45名、卒業生32名、大正5年迄入学生平均57名、卒業生33名、大正13年迄入学生平均65名、卒業生59名にして、入学生総数2,246名、卒業生1,527名なり。

創立以来の校長次の如し
明治22年より大正4年に至る26年間、能勢米次郎氏、大正4年より同6年に至る2ヶ年、 橋村次郎氏、大正6年より9年に至る3ヶ年、小前由太郎氏、大正9年より引続き、現校長大南丈太郎氏就任す。

ハ,実業補習学校 以下は省略致します。

松原金衛門については現在詳細不明です。

 

 

カテゴリー: 展覧会・講座・掲載情報, 資料紹介 | コメントは受け付けていません。

蜂須賀 茂韶 氏/ 森琴石の「月瀬山水図」に詩文を揮毫

2017年2月28日 更新

 

蜂須賀 茂韶 (はちすが もちあき)
森琴石の「月瀬山水図」に詩文を揮毫

森琴石が最も愛した景勝地
・・・・奈良県「月ヶ瀬」…梅林で名高い
・・・・・/

情報の出展=国立国会図書館サーチ「森琴石」‐157件中の内148件目のデータhttp://iss.ndl.go.jp/books?op_id=1&any=%E6%A3%AE%E7%90%B4%E7%9F%B3

データ
月瀬山水 森琴石筆/文部大臣蜂須賀侯の自筆歌詠 (*絵画・書画)  (太陽 1(明28-36))
要約・抄録
 太陽 第3巻第17号(明治30年8月20日)口絵
・・

 

 お断り
●この情報は、国立国会図書館サーチで「森琴石」での検索書誌のデータで、実物での確認はまだ出来ていません
●森琴石と月ヶ瀬については、森琴石HPで多数取り上げていますので、森琴石HP トップ頁 Googleカスタム検索 http://www.morikinseki.co 等でご覧ください



・・明治15年作「月瀬真景図」の一部分
『森琴石作品集』の表紙に使用

/・森琴石作品集 表紙

 

 


 


蜂須賀茂韶 はちすかもちあき
生没年
(1846〜1918 弘化3年8月8日〜大正7年2月10日)
徳島藩主蜂須賀斉裕の次男。世子時代は朝命に応じて国事に奔走した。
明治元年(1868)徳島藩主を継承し、新政府の議定として刑法事務局輔や民部官知事に就任。2年版籍奉還にともない徳島藩知事。5年イギリスに留学。帰国後は、大蔵省関税局長、参事院議官などをつとめた。15年特命全権公使としてフランスに駐在。17年侯爵。帰国後は、元老院議官、東京府知事、貴族院議長、文相、枢密顧問官などを歴任した。
一方で、華族資産の有効活用を主張して北海道で農場を経営。俳句・能などを嗜み、その振興にも努めている。
 ・・・引用=近代日本人の肖像  http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/166.html?cat=54


森琴石HPでの
蜂須賀茂韶・蜂須賀家と関係深い人

森琴石HP:関係人物
大村楊城(おおむら ようじょう)
岡本斯文(おかもと しぶん)
井上 勤(いのうえ つとむ)
井上不鳴(いのうえ ふめい)=井上春洋

 

 

 

 

 

カテゴリー: 展覧会・講座・掲載情報, 美術館、図書館、博物館など | コメントは受け付けていません。

森琴石「寒江帰棹図」

2017年1月21日 更新
・・

寒中お見舞い申し上げます。
厳しい寒さの日々ですが、お変わりございませんでしょうか。
昨年11月、姉が亡くなりましたので、新年のご挨拶など失礼させて頂きました。
今年も変わらぬご厚誼の程宜しくお願い申し上げます。

・・・

森琴石
寒江帰棹図」

画像御提供者=熊田司氏(和歌山県立近代美術館 館長)

琴石寒江帰棹図org

明治43年(1910)/  絹本着色 /  132.1×43.5cm

pdf版でもご覧頂けます
琴石寒江帰棹

 

・・・・

・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

カテゴリー: その他 | コメントは受け付けていません。