What’s New?  について

[森琴石]のホームページをCD化するに当り、最後のまとめにとりかかりたいと思います。

索引の充実及び画家系図のやり直しと並行し、諸情報のお知らせについては、平成23年12月より[What's New?]からご覧頂きたいと思います。

 [森琴石]の調査を開始してから13年経ちましたが、その過程に於けるさまざまなエピソードや苦労話などを、記録として残す必要があるとのご意見を頂戴しています。
調査情報ではお伝え出来なかった内輪的な事にも少々触れてみたいと思います。

ブログ形式の操作に不慣れな為、画像やイラストの挿入などがまだ出来ません。
徐々に覚えていきますので気長にお付き合い下さい。       2011年12月5日  筆者

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中村竹洞の鑑定、石橋雲来・鳥居断三・杉浦芳嶺等が記載:森琴石日記(明治42年8月8日‐11日)

2017年5月17日 更新



前回   森 琴石の日記:明治42年 8月3日―8月7日  の続き

 

森 琴石日記
明治四十二年 八月八日~八月十一日)

 8月8,9日

 

明治四十二年八月

八日 晴
野口琴渓、稽古ニ来ル
※野口琴渓=森琴石門下

高橋祐次郎氏来ル、竹洞前画*墨竹図 幅持参、鑑定被乞、見之、宜、
竹洞=中村竹洞=名古屋の人、江戸時代の画家
・・・備考:竹洞の作品の鑑定結果は良

※前画=若い頃の作?

◎午後、和田柳渓罷越し、過日播州ニテ画会相開、右画不足ニ付、猶揮亳依頼、絖本拾枚持参、謝儀添、相頼ニ付、承諾致し遣ス、
※和田柳渓=画家

○火災後大混雑ニ而、属托品揮亳不出来、今日ヨリ揮亳ヲ始ム
※火災=明治42年7月31日未明に起こった火事。北の大火、天満焼けとも言う

 

八月九日 晴
○早朝、朝岡類焼避難、西寺町・寺ニ致被居ヲ訪フ、石橋雲来氏ヲ訪フ
※朝岡=森琴石門下 
※石橋雲来=大阪の漢詩家、晩年は明石(江井ヶ島)に住む・森琴石の親友

○名古屋小川隆吉氏ヘ、過日送リ来候松林遊馬幅返却、小包ヲ以相送ル、扇子米法山水壱本呈上、共ニ送ル、
※趙子昂=元代画家 馬画の名手

○夕前、ヤス薭島小嬢乳母方ヘ、小児召連罷越ス
※ヤス=森琴石3番目の妻・鯖江士族の娘
※稗島=地名

○青森県五所川原、佐々木嘉蔵氏ヨリ火災見舞トシテ品物料二円送リ来ル、謝状出ス

十日 晴
○早朝、平井直水氏ヲ訪フ、
※平井直水=大阪の画家・深田直城門下・森琴石と親交

○美濃大垣・鳥居談三氏ヨリ、為火事見舞金五円贈リ来ル、
※鳥居断三=元大垣藩家老。森琴石の心友。   

○明日、衛生掃除之処、延期相成、同夜、八幡筋藤原氏罷越し、過日申来し
○屏風之義ニ付、同夜罷越し、絹張裏箔*ニ嵐山箕面揮亳ニテ、潤筆各々談合之上           結ル処、百三拾円ニテ揮亳可致聞着相成
※裏箔=絹の裏から金箔を張って描く絵

 

十一日 晴
近藤翠石来ル、松山依頼之見本画持参、預リ置、
※近藤翆石=森琴石門下
※松山=美術家・森琴石喜寿祝賀会の幹事総代を務めた

大森易次郎来ル、市田来ル

佐々木為助来訪有之

○播磨・杉浦芳嶺ヘ属托之石壁*対聯*小包ヲ以送ル
※杉浦芳嶺=明治時代から昭和初期にかけて現在の兵庫県播磨を中心に活躍した刳物師(くりものし)
※石壁= 赤壁の事か?
※対聯=対になった細長い作品 

○広島県仁方村・手島素岳ヘ、小切画梅石ノ分共送ル
※手島素岳=森琴石門下

○伊勢・西村源七ヘ、属托之尺八松鶴図小包ヲ以、相送ル

○美濃国八幡町・中村太華氏ヨリ、大火見舞トシテ品物料金貮円贈リ来ルニ付、謝状出ス、

 

日記中の固有名詞は、森琴石HP トップページ googleカスタム検索機能、ブログwhat’s newでの検索機能でお調べ下さい

 

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石谷・静邨の鑑定、木蘇岐山・山岡米華・仁尾重実等記載:森琴石の日記(明治42年8月3日‐7日)

2017年5月6日 更新

 

森琴石の日記 は
●森琴石の孫 森 加津(結婚後 西藤姓)が、婚姻時に持参した「雛道具」の包み紙に使用したものが残っていました。

●日誌は明治42年8/3 ~10/7、明治45年2/15~7/31、大正元年8/1~10/5までの分が断片的に残っています。

●日誌は平成11年秋、森 加津の二女飯田知子様よりご提供頂きました。

●日記には多くの情報が含まれています。

●日記に搭載する人物の特定に力を注ぎたいと思っていますが、森琴石HP及びブログの筆者の私(森 満代)は背面痛(xx症候群?)の治療中で、まだ余り無理が出来ません。
従って、次回からの更新は少々遅れる事をご承知置き下さいますようお願い致します。

●日記の原文の翻刻は、平成11年秋〰平成12年春、当時神戸市立博物館勤務の成澤勝嗣 先生(現早稲田大学大学院教授)に多大なご協力のもと実現致しました。

●翻刻文の下には ※青色文字 で簡単に注釈を加えています。

●日記中の固有名詞は、森琴石HP トップページ googleカスタム検索機能、
ブログwhat’s newでの検索機能でお調べ頂ければと思います。

 

森 琴石日記
明治四十二年 八月三日~八月七日分)

日記 明治42年8月3,4,5日

 

明治四十二年八月三日

前欠
○右謝状差出ス

○播磨・来住藤吉氏来ル、過日相送リ候松林山水額画十六枚横、潤筆、為換ヲ以送来ル。
住(きすみ)籐吉=兵庫西脇の人、森琴石の作品所蔵者

山田可祝子、天下茶屋山崎捨三氏方ヘ引取ル
※山田可笑祝(かしこ)=森琴石3番目妻ヤスの身内
※山崎=森琴石3番目の妻ヤスの身内、鯖江の人

石野香南来ル、類焼ニ付、今日ヨリ住吉知人方ヘ一家引越旨申之
石野香南=森琴石門下
※類焼=明治42年7月31日未明に起こった火事。北の大火、俗に天満焼けと称す。
以下にある羅災・火災等の記述はこの大火災の事を指す

○夕前ヨリ、ヤス森重助 避難先松山ヘ罹炎見舞ニ行
○今日も引続混雑シ罷在也
※ヤス=森琴石3番目の妻、鯖江士族の娘(旧姓山田)
※森重助=大阪の売薬商。森家の身内か?(下に画像)
※松山=松山晩翆の事か?

四日 晴
○諸方ヨリ火災見舞来訪、人多ク有之、

○過日、松山晩翠氏ヨリ人体画揮亳候とて、伊藤渓水ヘ相託候処、揮亳出来ニ付、
直接松山ヘ差出サセ候事※
松山晩翆=美術家・森琴石の喜寿祝賀会の幹事総代を務めた(下に画像)
※伊藤渓水=大阪の画家・四条派

 

八月五日 晴
木蘓岐山翁来訪有之
※木蘇岐山(きそ きざん)=岐阜の漢詩家・森琴石と親交

平井直水氏来訪有之
※平井直水=大阪の画家・深田直城門下、森琴石と親交

川崎墨渓外一人、同道罷越し、静邨翁鑑定ヲ乞、見之、不冝(消)、偽
※川崎墨渓=愛知生まれ・写生派の画家
※忍頂寺静屯=森琴石の画の師匠    (注 森琴石鑑定=静屯の画は偽物と記述)

山田ふく、天下茶屋手前に而家借リ請、引移旨申之
※山田ふく=森琴石3番目妻ヤスの身内

○同夜、八幡筋御堂筋西ヘ入、骨董商藤原氏来リ、屏風揮亳ヲ乞、潤筆
問合有之ニ付、百五十円と相答置

 

六日 晴
○早朝、石尾氏ヲ見舞、
※石尾=森琴石門下 石尾松泉

田村甚吉氏、火災見舞ニ被来、品物到来ス、

杲田耕次郎来ル、
※杲田(こうだ)=森琴石2番目の妻ゑいの肉親

○伊豫平城仁尾重実ヨリ、石谷*山水幅送リ来ル、偽物ニ付、直ニ小包ヲ以、返却ス  
※石谷=王翬、明末清初の文人画家   (注 森琴石鑑定=石谷の画は偽物と記述
※仁尾(にお)重実=土佐 柏島水産補習学校校長
四国のやまなみ と言うサイトの中、特別読物 正岡子規著『病 牀 六 尺  全 の始めの方に、柏島水産補習学校についての記述があります。
 徳富蘇峰の資料に名が出る。

近藤家内来ル
※近藤=森琴石門下近藤翆石の事 

 

八月七日 晴

○火災後、今日迄混雑致シ、見舞人多ク一々記スヲ得ズ

東京南宗画会、九月二日ヨリ三十日迄、展覧会開催致ニ付、出品之義、山岡米華*ヨリ依頼越ニ付、近藤・西尾・鎌田・吉村ヘ出品通知致ス
山岡米華=高知県出身の画家・大展審査員
※近藤・西尾・鎌田・吉村=森琴石門下

○同夕、大和美術新報社主・槙岡西京新聞記者・石川同道罷越し、
美術上之意見ヲ聞ニ付種々相話ス

日記の翻刻者=成澤勝嗣氏(元神戸市立博物館学芸員、現早稲田大学大学院教授)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

森重助の資料
『大阪商人・その土性骨のうつりかわり』 
・・(宮本又次著(明治15年1月19日版復刻 中外書房)
付録『浪華の魁』
(明治15年1月 垣貫一右衛門編輯)
・・・・
北区の部に氏名あり(下画像の中ほど)

・・・・・・・・・・堂島中通二丁目 売薬商 森重助(小西堂事)

森重助(売薬商)

 

松山晩翆の資料
森琴石喜寿祝賀会 招待状の末尾幹事総代に松山晩翆の名

喜寿祝賀会準備文(幹事総代‐晩翆の名)

 

 

 

 

 

 

 

上記日記内の、人物などについての情報は、
森琴石HP トップページ google カスタム検索機能,
ブログwhat’s newでの検索機能にて適宜お調べください

 

 

 

 

 

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京都泉屋博古館:森琴石の-山水画帖-が展示

2017年4月14日 更新

 

京都鹿ケ谷 泉屋博古館
森琴石の -山水画帖- が展示

 

京都鹿ヶ谷「泉屋博古館」で開催中の展覧会
[楽しい隠遁 山水に遊ぶ―雪舟、竹田、そして鉄斎]

 場所  :京都鹿ヶ谷 泉屋博古館
会期  : 3月4日(土)~5月7日(日)
休館日 :月曜日(ただし、月曜日が祝日の場合は開館し、翌平日休館
    ・・・・・展示替え期間、4月25日(火).
開館時間 :午前10時→午後5時(入館は午後4時30分まで)
入館料  :一般 800円/高大生 600円/中学生 350円(小学生以下無料)

 ★詳細は https://www.sen-oku.or.jp/kyoto/program/ をご覧ください

 

森琴石に関する展示
岡村ゆかり氏 のブログより下に転載させて頂きました

“山水を楽しむ” では、
室町期、狩野元信門下の実力者・長吉の「観瀑図」、高橋由一に西洋画を習った森琴石の「青緑山水図」が美しく幕末京都の文人画家・中林竹洞の「赤壁図」には幾何学的な表現のおもしろさがあります。池田桂仙が描いた「桐木地網代張器局」は茶道具を収める箱、憧れの一品です。なるほど中国絵画に登場する太湖石の実物もありました。

 

 

 

 

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有馬の近代教育の礎を築く…森琴石実父「梶木源次郎」

2017年4月4日 更新

 

有馬の近代教育の礎を築いた
・・・・   森琴石実父「梶木源次郎」

 

●森琴石の実父梶木源次郎は、幕末~明治初期の有馬に於いて、土木事業や物産振興など多岐にわたり多大な業績を上げた人物です。この度、明治初期に‐有馬の小学校創設の礎を築いた‐資料を入手しましたのでご紹介致します。
●森琴石の実父梶木源次郎の発想・行動力の背景はどのようなものだったのだろう!
ますます興味を引きます。
義父(舅)寿太が書き残したものに「梶木源次郎は、出石の仙石騒動後、身内の森猪平(後年、森琴石の養父となる。大阪での通称は出石屋善蔵、自称出石屋棄造と名乗る)らと出石を出た」とある。
有馬に住みつく以前の梶木家、梶木源次郎について探ってみたいものです。
●森琴石は、実父梶木源次郎のDNAを、芸術(南画・銅版画)・教育(教科書等の著編者)分野で発揮した。

 

 

『有馬郡誌 下巻(町村誌)
編者:有馬郡誌編纂管理者 山脇延吉
発行者:坂本広三郎
発行年:昭和4年9月10日・昭和49年3月15日

該当箇所
三 有馬町誌
(85頁の中ほど 梶木源次郎が記載黄色でマークしています。
・・資料の原文中、一部の漢数字はアラビア数字に、旧漢字は当用漢字に置き換えています)

教育

イ,幕政時代
[寺小屋]念仏寺魁山・福永治兵衛・谷本吉兵衛・梅村雅次郎・次いで菅原周音等町家の子弟を集め 習字を教授す。平仮名・名頭・国台・商売往来・往復文等にして多き時は三十人、少なき時は十人内外なりき。珠算は松原吾市較、高尚なるは田中常宅教授す。子弟何れも十数人なり。明治4年春頃、県下美嚢郡野瀬村より、医師藤野藤一氏来りて、開業の傍ら漢籍を教授す。即ち小学・四書・十八史略等にして、子弟は十数人なりき。留まる事1年余、次に京都より伊藤経次郎来りて、国語漢文を教授す。子弟十数人に過ぎず。留まる事1年余なり。

ロ,小学校令発布後
〔小学校〕明治6年11月6日創設、有馬町立湯山小学校と称す。これより先、明治3年1月当戸長梶木源治郎の主唱によりて、従来の寺子屋教授を廃し、町内報恩寺内本堂の一部を以て、仮教場に充て、生徒十数名を集め、三田旧藩士松原金衛門を招し、無等科無制限にして、読書・習字・算術を授けしにより、漸く設備の端緒を見るに至りしなり明治5年8月学制発布せられたるを好機とし、設備を拡張し、本県令の許可を得て、湯山小学校と称し漸く普通教育の施設を開く。明治15年5月、小学校綱領の頒布に基き、有馬郡第2番学区町村立湯山小学校と改称し、その科程、初等・中等各3ヶ年とし通じて6ヶ年の学期に設備変更す。明治18年8月、小学校令の改正に従い、中等科を廃す。校舎頽廃用に堪えざるに至りしによりしにより、元、清凉院に移転す。明治20年4月1日、19年4月の小学校令により、十番学区湯山町立湯山尋常小学校と改む。明治24年4月1日、卒業者補習の必要を認め、温習科を増設す。明治26年11月12日、校舎を改築す。明治29年7月5日、湯山町を有馬町と改めしにより、有馬町立有馬尋常小学校と改称す。明治34年4月1日、有馬尋常高等小学校と改称し、高等科を併置して現在に至る。

創立以来の入学生並びに卒業生下記の如し
明治20年迄の入学生平均18名、卒業生平均10名、 明治30年迄入学生平均37名、卒業生22名、明治40年迄入学生平均65名、卒業生36名、45年迄入学生平均45名、卒業生32名、大正5年迄入学生平均57名、卒業生33名、大正13年迄入学生平均65名、卒業生59名にして、入学生総数2,246名、卒業生1,527名なり。

創立以来の校長次の如し
明治22年より大正4年に至る26年間、能勢米次郎氏、大正4年より同6年に至る2ヶ年、 橋村次郎氏、大正6年より9年に至る3ヶ年、小前由太郎氏、大正9年より引続き、現校長大南丈太郎氏就任す。

ハ,実業補習学校 以下は省略致します。

松原金衛門については現在詳細不明です。

 

 

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蜂須賀 茂韶 氏/ 森琴石の「月瀬山水図」に詩文を揮毫

2017年2月28日 更新

 

蜂須賀 茂韶 (はちすが もちあき)
森琴石の「月瀬山水図」に詩文を揮毫

森琴石が最も愛した景勝地
・・・・奈良県「月ヶ瀬」…梅林で名高い
・・・・・/

情報の出展=国立国会図書館サーチ「森琴石」‐157件中の内148件目のデータhttp://iss.ndl.go.jp/books?op_id=1&any=%E6%A3%AE%E7%90%B4%E7%9F%B3

データ
月瀬山水 森琴石筆/文部大臣蜂須賀侯の自筆歌詠 (*絵画・書画)  (太陽 1(明28-36))
要約・抄録
 太陽 第3巻第17号(明治30年8月20日)口絵
・・

 

 お断り
●この情報は、国立国会図書館サーチで「森琴石」での検索書誌のデータで、実物での確認はまだ出来ていません
●森琴石と月ヶ瀬については、森琴石HPで多数取り上げていますので、森琴石HP トップ頁 Googleカスタム検索 http://www.morikinseki.co 等でご覧ください



・・明治15年作「月瀬真景図」の一部分
『森琴石作品集』の表紙に使用

/・森琴石作品集 表紙

 

 


 


蜂須賀茂韶 はちすかもちあき
生没年
(1846〜1918 弘化3年8月8日〜大正7年2月10日)
徳島藩主蜂須賀斉裕の次男。世子時代は朝命に応じて国事に奔走した。
明治元年(1868)徳島藩主を継承し、新政府の議定として刑法事務局輔や民部官知事に就任。2年版籍奉還にともない徳島藩知事。5年イギリスに留学。帰国後は、大蔵省関税局長、参事院議官などをつとめた。15年特命全権公使としてフランスに駐在。17年侯爵。帰国後は、元老院議官、東京府知事、貴族院議長、文相、枢密顧問官などを歴任した。
一方で、華族資産の有効活用を主張して北海道で農場を経営。俳句・能などを嗜み、その振興にも努めている。
 ・・・引用=近代日本人の肖像  http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/166.html?cat=54


森琴石HPでの
蜂須賀茂韶・蜂須賀家と関係深い人

森琴石HP:関係人物
大村楊城(おおむら ようじょう)
岡本斯文(おかもと しぶん)
井上 勤(いのうえ つとむ)
井上不鳴(いのうえ ふめい)=井上春洋

 

 

 

 

 

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森琴石「寒江帰棹図」

2017年1月21日 更新
・・

寒中お見舞い申し上げます。
厳しい寒さの日々ですが、お変わりございませんでしょうか。
昨年11月、姉が亡くなりましたので、新年のご挨拶など失礼させて頂きました。
今年も変わらぬご厚誼の程宜しくお願い申し上げます。

・・・

森琴石
寒江帰棹図」

画像御提供者=熊田司氏(和歌山県立近代美術館 館長)

琴石寒江帰棹図org

明治43年(1910)/  絹本着色 /  132.1×43.5cm

pdf版でもご覧頂けます
琴石寒江帰棹

 

・・・・

・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

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森琴石遺品 : ≪銅版画の原版≫を入れる 木箱

2016年森琴石12月28日 更新

 

森琴石の遺品

≪銅版画の原版≫を入れる 木箱 
・・・銅版画師【響泉堂】としての貴重な資料

●森琴石長女「堀木 昇(しょう)」のひ孫胡飯田知子さんの姪ごさんから、森琴石の遺品「銅版画の原版を入れる箱」の画像を送信して頂いています。

画像は鮮明ではありませんが、森琴石の<銅版画師>としての、非常に貴重な資料ですので、ご紹介させて頂きます。

●森琴石のひ孫である故飯田知子さんは、3年前の12月7日にお亡くなりになられました。
知子さんのご主人は、その4か月前にご逝去。
ご夫妻にはお子様が無かった事から、生前から姪の冨田M子様に<没後の整理>をお任せしたいと言っておられました。

●遺品の整理中「響泉堂の木箱」が存在する事が判明、お知らせ頂いた次第です。

●余分な事ながら、冨田M子様は、故飯田知子さんの姉故大江温子氏のご息女です。
大江温子氏は、東京医科歯科大学 歯学部の元教授で、温子氏の夫は東大医学部の著名な元脳神経外科医の方だったと伺っています。
尚又、冨田M子様のご主人の弟冨田 章氏は、現在東京ステーションギャラリーの館長を務められておられます。

●飯田知子さんについては、2013年12月24日更新分
【年賀欠礼・訃報 飯田知子氏】等、多くの項目で取り上げています。

 

森琴石遺品
<銅版画の原版>収納箱


材質 :木製
サイズ :縦23cm ×横14cm×深さ8.5cm

 

木箱の底の文字
響泉堂
(琴石乃銅版画号)
①木箱の底 響泉堂 森琴石乃銅版画号の文字

 

 

 

 

 

 


木箱の横の文字
響泉堂
②横 響泉堂の文字

 

 

 

 


木箱の蓋裏と内側

③箱の蓋と中

本年も森琴石HP及び当ブログをご覧頂き
誠にありがとうございました

来年度も「森琴石」をご支援賜わりますよう
宜しくお
願い申し上げます


皆さま方
良い新年をお迎え下さいますよう
お祈り申し上げます

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掲載情報:「いちょう並木 4月号」の追加・他

2016年12月18日 更新


大阪市立生涯学習センター
『いちょう並木4月号』(2016年4月号)
・・森琴石編著『墨香画譜』の木版画掲載


書誌名
いちょう並木 4月号』

連載
おおさかKEYわーど
・・
大阪を知るための 100 の言葉とモノの世界(第67回) 

 タイトル
・・大阪の余裕が生んだア-の世界も今は…

・・・大阪人は南画が好きだった・・・はずが


橋爪節也 
・・
大阪大学総合学術博物館前館長/大学院文学研究科教授。

 

森琴石掲載分
文章中
森琴石の画=
森琴石編著「墨香画譜」より「金魚の図」が使用・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・『墨香画譜  巻ノ四
///////////////////////<金魚の図>

墨香画譜(四)より 金魚

 内容はPdf版でご覧くださいhttps://www.manabi.city.osaka.lg.jp/www/contents/lll/ityou05/buckup/201604_p3.pdf

 

 

 

森琴石画
寒江帰棹図

 和歌山県立近代美術館館長の熊田司先生より、森琴石の作品画像をお送り頂きました。2017年1月中に、当ブログ 新項目<作品紹介>でご紹介させて頂きます。

作品名:森琴石「寒江帰棹図」
制作年:明治43年(1910)
材質技法寸法:絹本着色 132.1×43.5cm

 

お詫び
URLの変更

 小林昭夫氏-『音訓による難漢字・旧漢字検索』

森琴石HPで多大なご協力を頂いています千葉氏の小林昭夫氏より、
小林氏管理の『音訓による難漢字・旧漢字検索』URLの変更のお知らせ頂いていました。 昨年(12015年)11月末にお知らせ頂いていながら未だ訂正が出来ていません。
2016年9月以降、私(森琴HPの管理者)が、PC使用時の動作や姿勢が身体に大きな弊害をもたらしている為、森琴石ホームページを休止させて頂いております。
現在はブログ<what’s new>のみでの情報発信となっています。
2017年1月中には森琴石HPの方を訂正させて頂く予定です。
〔新〕URL=http://userweb.pep.ne.jp/c6v00030

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和歌山県立近代美術館「特集 薔薇色の鏡 ‐銅版画の技と表現」に森琴石の銅版画が4~5点

2016年9月29日 更新

 

和歌山県立近代美術館
特集 薔薇色の鏡 -銅版画の技と表現」に
森琴石の銅版画…4~5点 展示

 

★特集「薔薇色の鏡 -銅版画の技と表現」の概要と目録は下記アドレスからご覧ください

概要  http://www.momaw.jp/exhibit/now/2016cupperplateprinting.php

目録   http://www.momaw.jp/files/%E8%96%94%E8%96%87%E8%89%B2%E3%81%AE%E9%8F%A1%E7%9B%AE%E9%8C%B2.pdf

 

会期:2016年9月13日(火)~11月3日(木・祝)

主催:和歌山県立近代美術館

会場:和歌山県立近代美術館 展示室B
 
開館時間:9時30分−17時(入場は16時30分まで)

休館日:月曜日[9月19日(月・祝)、10月10日(月・祝)は開館、翌火曜日休館]

観覧料:一般340(270)円、大学生230(180)円 ()内は20名以上の団体料
*高校生以下、65歳以上、障がい者の方、県内に在学中の外国人留学生は無
*「コレクション展 2016-秋」と共通



響泉堂(森琴石)刻の銅版作品
作者名 作品名 制作年 寸法(cm) 技法・材質 寄贈など

森 琴石(響 泉堂)/ 武藤吉次郎
『改正大阪 区分細見図』
1876(明治9)
エッチング・木版、紙
68.5×92.1 個人蔵

森 琴石(響 泉堂)/ 永田方正
『暗射地球訳 図』
1875(明治8)
エッチング・合羽版、 紙
71.2×91.3
個人蔵

森 琴石(響 泉堂)ほか
『響泉堂等銅版画資料貼 込帖』
1877-79(明治10- 12)頃
エッチング、紙(冊 子)
31.0×21.8 ×3.2
個人蔵

森 琴石(響 泉堂)
『小学用地図』
1877(明治10)
エッチング、木版、紙 (冊子)
2.2×14.7 ×0.3
個人蔵

 

 

 

 

 

 

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必見!「有馬グランドホテル」の茶室(雅中庵)・・・森琴石の絵画が実家で初公開

2016年9月4日 更新

 

「森琴石お軸鑑賞会」
必見!「有馬グランドホテル」の茶室(雅中庵)…森琴石の絵画が実家で初公開

 

有馬グランドホテル(森琴石の実家)

特別展示
森琴石のお軸鑑賞会
ホテル敷地内の茶室・雅中庵にて森琴石お軸を期間限定で、雅中庵にて展示しています。

 

場所:有馬温泉「有馬グランドホテル 雅中庵

会期:9月2日~10月31日

公開日:9/2〜4,10〜12,15,17〜20,23〜27,30
・・・  10/1〜4,7〜10,14〜17,22〜25,28〜31

時間:9:30〜16:30

鑑賞料:800円(お抹茶付き)

交通アクセス:http://www.arima-gh.jp/utility/access.html

 

森琴石:グランドホテル 案内

 

雅中庵
又とない機会です。
一見の価値があります・・・是非足をお運びください。

●グランドホテルの奥の方、広い敷地内に立派な建物があります。
●静かで落ち着いた雰囲気の部屋、その空気感が心を癒します。
●茶室というより古民家の趣を感じます。
●手入れが良く行き届いた庭も必見です。
●4つの部屋で森琴石の作品や写真が展示されています。
森琴石の画は大作は有りませんが、お茶室の落ち着いた雰囲気と良く調和していました。森琴石の実家での展示、森琴石もきっと喜んでいることでしょう!
●物腰の柔らかな方がお部屋への案内とお抹茶を立ててくださいます。美味しいお菓子もついています。


雅中庵 入口               入口から茶室への通路
入口1入口からみた庭

 

森琴石の軸(3本)             茶室から眺めた庭

森琴石軸3本 隆太・岡崎さん      すだれ、庭1

茶室から見る庭園                                                   ここでお茶を立てて頂きます。

●部屋からの庭 (1)       CIMG5306

 

この場をお借りして
●森琴石調査当初に、色々とご協力を頂戴した、前社長梶木雅夫氏は昨夏お亡くなりになりました。生前のご恩に感謝しご冥福をお祈り申し上げます。
「雅中庵」は、雅夫氏の雅、中の坊中を取り雅夫氏が名づけられたそうです。
●有馬グランドホテルの皆様方、大阪大学の橋爪節也教授に近代美術史学ぶ南木さん、森琴石を非常に愛してくださっている有馬海潮音様、大変お世話になりました。

 

 

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