【黄 超曽】は、神戸と横浜の清国領事だった

2012/1/10更新

 

黄 超曽(こう ちょうそ)】とは、神戸と横浜で(清国)の領事を勤めた人物だった事が分かりました。
手元に【黄 超曽】に関する文献資料が幾つかあるので簡単にご紹介します。

 

【黄 超曽】についての文献資料

1:『明治前期日中学術交流の研究』) 陳 捷著 2003年2月28日刊 より

●黄 超曽、字は吟梅、号は金鼇釣徒、蘇州府崇明県の人。
 黎庶昌の随員として来日し、神戸領事館に2年間滞在、その後横浜領事館に転勤した。
  詩文吟詠に優れていた為、日本文人との応酬を引き受けている。
●光緒10年(1884、明治x年)、公使の命で日本各地を遊歴し、各地の日本文人を通して広い範囲   
 にわたる交流を行った。

 在日中の詩作は『東瀛詩草』と題する1冊の詩集に纏められた。   
 

2:『学海画夢』 依田 学海著  明治18年10月刊 より

下編「近水闘詩」―片桐楠斎が主催した詩宴の様子を書いた項目

・・・・・・明治18年4月18日、大阪外国人居留地の近くにある「近水楼」で詩会が開催された。
中国文人には、朱李方(朱印然)、黄超曽(黄吟梅)、衛寿金(衛鋳生)、胡璋(胡鉄梅)らが参加、
日本側からは、主催者の片桐楠斎、仲介役の前田馬山、小川氏、依田学海と愛妾瑞香、小世良八湄、依田学海と愛妾瑞香、服部紫江、森琴石、平井松月等が参加・・・・・・

3:『翰墨因縁』 水越耕南編 明治17年12月15日刊 より

上編の末尾
黄超曽の石牘(書簡、手紙)10函と詩文16首が収められている。
黄超曽の書簡は、壬午(明治15年)8日に始まり、癸未(明治16年)7月「横浜節使を命じられた」と書かれた分で終っている。

 

★上記の文献については
 森琴石HP内、調査情報「
平成16年8月」・「学海画夢、「翰墨因縁を参照下さい
★  森琴石調査では、清国領事には呉澣濤(ご かんとう)との交流が見られます。

呉澣濤(呉翰濤)=「平成17年7月■3番目」「平成18年12月◆南画独学揮毫自在 の揮毫者」に名あり」・雅友・知友「馬渡俊猷」に記述があります。

 

 

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