『いちょう並木 4月号』 :表紙に森琴石の下絵(一部)

2015年4月11日 更新

 

OSAKA生涯学習情報誌
『いちょう並木 4月 №389号』

・・表紙に森琴石の下絵が使用(一部)
・・・橋爪節也氏の連載

■大阪市立総合生涯学習センターの宮本氏より『いちょう並木 4月号』をご送付して頂きました。
■表紙に<森琴石の下絵を使用した>お礼と報告を兼ねての事と思います。
■『いちょう並木』は、大阪市立総合生涯学習センターが、毎月1回定期的に発行、大阪市のシンボル“御堂筋のいちょう並木”をネーミングに取り入れた情報誌です。

■誌面では、大阪の芸術・文化に関わるコラムや、博物館施設や近隣関連施設のみどころの紹介、その他、大阪の歴史、人権啓発など、講座・イベント情報だけでなく、様々な学びの機会を提案する情報誌となるように工夫されています。
・・・・・・・・・・大阪市立生涯学習センターホームページより)
■『いちょう並木』のトップ頁に、
おおさかKEYわーど “大阪を知るための 100 の言葉とモノの世界”
という連載コーナーがあります。

■連載の筆者橋爪節也先生は、大阪の事なら何でもござれの「大阪通」として夙に知られ、森琴石調査や『森琴石作品集 文人画編』の筆者として大変お世話になっている先生です。
■今回の「ライオン橋物語」は、橋爪先生が担当されているシリーズ …大阪を知るための100の言葉とモノの世界… 第56回目ですが、過去の連載はPDF「いちょう並木バックナンバーライブラリ」で閲覧出来ますので是非ご覧ください。
■私のように<PDFを作動出来ない>方の為にも、連載の今回掲載部分の画像を下にご紹介させて頂きます。

『いちょう並木 4月 №389号』
…大阪を知るための100の言葉とモノの世界…
ライオン橋物語
   ―大大阪の誇りを今に伝える名橋―

おおさかKEYわーど 第56回
・・架け替えは市電のため
・・・・五頭目の謎のライオンが和歌山に

文章
橋爪節也氏
(大阪大学総合学術博物館館長・大阪大学大学院文学研究科教授)

表紙
○表紙 

○表紙  森琴石ライオン表紙の一部(森琴石の下絵)

/

文章
橋爪節也氏
(大阪大学総合学術博物館館長・大阪大学大学院文学研究科教授)

○橋爪先生文章

 

難波橋と森琴石
住まいは難波橋の近く

・・「難波橋渡り初め儀式」と森琴石の下絵

■「難波橋」は森琴石が江戸末期~明治10年代に住んだ住居に近い。
■『いちょう並木』の表紙の森琴石のライオン像の下絵、橋爪節也先生の文章の地図部分と、森琴石HPでご紹介した<森琴石の自宅近辺の地図>、<森琴石「難波橋渡り初め式」の下絵類>の画像、「渡り初め式の記事」を下にご紹介致します。
■森琴石の下絵から推察しますと、「難波橋渡り初め式」の記事にある 竹原、加藤氏のどちらからかに<儀式の画>を依頼されに違いありません。
(竹原氏については、かなり以前に資料を見つけたと記憶しています)
■天岡均一制作のライオン像のそっくりさん「5頭目のライオン像」が、5頭目の持ち主である北浜の相場師「松井伊助」が故郷和歌山に建てた別荘(現在「がんこ和歌山」)に置かれている事も興味深いと思いました。

難波橋 (文章中の地図より) 
○難波橋地図
・・・・・・・・難波橋 ●新難波橋  色で区別しました

江戸末~明治10年代 
森琴石の自宅、難波橋など(森琴石調査情報【平成19年 7月】より)
○江戸~明治 森家


森琴石下絵

「難波橋 渡り初め式」

渡り男、渡り女(
加藤・竹原両夫妻) / 右端のライオン像が表紙に使用 されました
縦40.0cmx横124.2cm
●渡り初め式 下絵

森琴石下絵
下絵の渡り男(熨斗目の裃)    下絵の渡り女(うち掛け姿)
左右両図 縦39.0cmx横27.0㎝

翁男    翁女

・/

森琴石HP掲載か所
●森琴石自宅(江戸末~明治10年代)=森琴石調査情報【平成19年 7月】・・・・・下方に記事を再録しています
●難波橋渡り初め=関連資料 難波橋渡り初め(なにわばし わたりぞめ)

●ライオン像 制作者「天岡均一」=関連人物:雅友知友 天岡均一(あまおか きんいち)

 

難波橋渡り初め儀式 記事
翌日の新聞記事(大正4年5月23日・朝日新聞朝刊第9面)

  • 渡初の大賑ひ(わたりぞめ の だいにぎはひ)
    【新橋の附近人に埋まる】

難波橋渡初めの當日である二十二日、大吉日の午前十時四十分、ワーッと揚げる喚声が群集の間から起った。新しく出来上った橋を真中にして堂島川土佐堀川とを隔てたお向ひに真黒に詰めかけた見物は生憎に暗澹たる其の日の空模様を眺めて何なるかと長い間立詰めてゐたであらう、夜の引き明けから賭け附けて半賃電車を幾分か見たといふ人があった、北濱と天満の両河岸の家といふ家、窓といふ窓には雙眼鏡を手にした見物がはち切れさうに覗いてゐた。まだまだ北河岸の大屋根には物干櫓に天幕張して赤毛布を垂らした
▲大袈裟な物見臺
が十幾つまで數へられた、その外南河岸のビアホールから新装両橋の橋詰、 中之島埋立て地の幾分まで凡そ喰み込み得る範囲内は人間で真黒である、その河岸から、窓から大屋から喚声が矢を射るやうに湧き起早朝から通行止めの奮難波橋の北詰と南詰から今日の渡り男、渡り女である加藤(北詰)竹原(南詰)両夫婦が祭壇へと歩を運び初めたのである。熨斗目の裃に打ち掛け姿の両夫婦、後からは小物とお女中が従う続いて羽織袴の一類縁者。まるでご家老、奥方が歌舞伎劇の花道がゝりをそのまゝの光景に急纂のやうな喝采幾度となく起った。其の内に厳かな
▲神式が始り
渡り男二人熨斗目の袴をポンと敲き、たばさんだ一刀をグイと直して玉串奉奠を済して元の座に引返して来ると引違へに渡り女二人が目も覚める禰襠姿に玉串目八分に捧げて祭壇前に敬しく伺候拍手の音優しく燃える如き鹿の子疋田の上着を見せて草履の足摺りスルスルと引返す。暫しの間徳川時代に帰ったやうな気持ちで鳴りを鎮めた。やがて先き払い大紋の金棒の音錆やかに響いて大魔神職散米。続いて右手に竹原夫婦左手に加藤夫婦と並んで新難波橋の上に其の時代めいた
▲姿を現した
後には紋附の小者と白元結の島田に黒襦子竪結びの帯びといった御殿女中そつくりなのが化粧袋を捧げて従う、群集が水を打ったように静まり返って見ているうちに北詰から南詰に 目出度く渡り了ったのは十二時 であった。待ち兼ねた群集が大波の如く新橋上に溢れて来る時分には余興場は最う湧き返るような華かさである祝賀會も済んで舞台上では堀江芸妓の勢獅子がはじまっている。ビールと酒嬌声と奏楽で陽気渦巻く中に竹原、加藤の両夫人は声を揃へて「昨夜一晩寝られませんでした。夜の明けるを待ち兼ねて斎戒沐浴、気分も落ち附きましたが、何さま勝手が違ひまして歩き悪うございましたこと」と話してゐる間もお目でたうおめでたうの祝辞が両夫婦の頭上に注がれた。余興の
▲最中から雨
が落ち出したが夜に入って追々繁くなり橋詰の街の兩側に美しく吊並べられた提燈の紅が散々に滲んだり各国国旗や紅白段々幕が水を含んでし悄れた様も惨めであったがそれでも仕掛花火の催しに誘ひ寄せられた群集は雨傘に明るい電燈の光を浴び乍ら歓声を挙げてとりゞりに美しい花火に見入ってゐた。

 


 

 

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