森琴石実母の生地(安倉 あくら)=聖徳太子ゆかりの地

2015年7月13日 更新

森琴石実母の生地(安倉 あくら)=聖徳太子ゆかりの地


地名の由来
・安鞍とも書く
・聖徳太子が西国巡遊の折、鞍を休めた地
・難波吉士(なにわの きし )胡床(あくら)の居住地か

前回前々回 では<森琴石の実母の生地>及び<森琴石次兄の養子先>は宝塚市安倉の旧家とご紹介しましたが、安倉(あくら)という地名は歴史的な由来があります。

●『宝塚の風土記 民話と伝説・地名の起こり』
・・・・(川端道治著/川瀬書店/昭和52年8月15日初版)

第246頁に
のような見出しがあります。

(四)大字・安倉(聖徳太子の所縁の地・難波吉士きし胡床あくらの居住地か)

●上記著書の内容を著作権上ご紹介出来ませんので、安倉(あくら)の地名の由来について似た情報がインターネットで紹介されていますので下にご紹介させて頂きます。
●難波吉士きし胡床あくらについては、説明が難しいので「難波吉士」という単語についてのみご紹介させて頂きます。

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安倉(あくら)   について

1:『摂津名所図会』 巻の六 より
河辺郡
安倉(あぐら)
池島・鳥島・出在家等安倉庄と云ふ。
伝へ云ふ、聖徳太子中山寺草創の時、根をと驪どめ、鞍を安ずる義によって安鞍と号す。今土俗安倉と書す。

2:兵庫県県民運動情報誌「ネットワーク」 より
第99号 阪神北<活動紹介>

安倉の地は、古来、伊丹と小浜を結ぶ街道筋沿いに形成され、農業を中心に発展してきた」と「コミュニティ安倉」のホームページや冊子 などの紹介にあります。
全国的に見ても貴重な高塚古墳や、聖徳太子ゆかりの大蓮寺や南中山寺・文殊院そして住吉神社など歴史的名所も多く(以下省略)・・・・・・。

3:宝塚歴史散歩 より

安倉は、中国自動車道宝塚インターの南に位置し、伊丹市に隣接する東西1キロ、南北2キロの地域です。 伝承によると聖徳太子がこの地域を訪れたとき、黒駒(黒い毛並みの馬)の鞍(くら)をはずして休んだことから「安鞍」とされ、それが転じて地名が安倉になったと伝えられています。
この付近は縄文時代の石鏃(せきぞく)(やじり)が出土、古墳時代前期(4世紀後半)の安倉高塚古墳が発掘されたことから、古くから開かれた土地であったことがうかがえます。

4:任意団体エコグループ・武庫川 より

第89回  武庫川エコハイク(2014.9.13 )
馬街道・清荒神から伊丹昆陽までを歩く 

安倉 安倉(あくら)は安鞍といわれ、聖徳太子が仏教興隆のためこの地を馬に乗り回られた折、乗馬が足を止め動かなくなりそこから金鶏が飛び立ったという。
太子はここを霊所として馬の鞍を休められたという。
この場所に鶏塚を置き一寺を興されたという。

 

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難波吉士(なにわの きし)   について

1:デジタル版 日本人名辞典 より
吉士雄成 きしの-おなり
飛鳥時代の遣隋使。推古天皇16年(608年)、小野妹子(おののいもこ)の帰国に同行してきた隋の使者 裴世清(はい-せいせい)らを筑紫にむかえる。

同年隋使をおくるため遣隋小使として大使妹子とともに渡海した。
氏は難波(なにわの)吉士とも。

2:アドレスのみのサイト より
難波吉士一族  誠に不思議な氏族である。
吉士とは朝鮮系の称であって、氏としても姓としても用いられている。従って、朝鮮渡来氏族であることはほぼ間違いない。
姓氏録の摂津皇別にも「吉志、難波忌寸同祖、大彦命之後也」とある。

難波に本拠を持ち、朝鮮外交を一手に引き受けた氏族である。

 

 

 

 

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