石谷・静邨の鑑定、木蘇岐山・山岡米華・伊藤渓水・平井直水・川崎墨渓・仁尾重実等記載:森琴石の日記(明治42年8月3日‐7日)

2017年5月6日 更新

 

森琴石の日記 は
●森琴石の孫 森 加津(結婚後 西藤姓)が、婚姻時に持参した「雛道具」の包み紙に使用したものが残っていました。

●日誌は明治42年8/3 ~10/7、明治45年2/15~7/31、大正元年8/1~10/5までの分が断片的に残っています。

●日誌は平成11年秋、森 加津の二女飯田知子様よりご提供頂きました。

●日記には多くの情報が含まれています。

●日記に搭載する人物の特定に力を注ぎたいと思っていますが、森琴石HP及びブログの筆者の私(森 満代)は背面痛(xx症候群?)の治療中で、まだ余り無理が出来ません。
従って、次回からの更新は少々遅れる事をご承知置き下さいますようお願い致します。

●日記の原文の翻刻は、平成11年秋〰平成12年春、当時神戸市立博物館勤務の成澤勝嗣 先生(現早稲田大学大学院教授)に多大なご協力のもと実現致しました。

●翻刻文の下には ※青色文字 で簡単に注釈を加えています。

●日記中の固有名詞は、森琴石HP トップページ googleカスタム検索機能、
ブログwhat’s newでの検索機能でお調べ頂ければと思います。

 

森 琴石日記
明治四十二年 八月三日~八月七日分)

出来事、登載人物
北の大火
木蘇岐山
松山晩翠、山岡米華、伊藤渓水、平井直水、川崎墨渓
大和美術新報社主、西京新聞記者、東京南宗画会
仁尾重実
来住藤吉、田村甚吉、森重助(売薬商)、藤原(骨董商)
門弟、身内
揮毫、鑑定=谷(王翬)忍頂寺静邨

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明治42年8月3、4,5日

日記 明治42年8月3,4,5日

 

明治四十二年八月三日

前欠
○右謝状差出ス

○播磨・来住藤吉氏来ル、過日相送リ候松林山水額画十六枚横、潤筆、為換ヲ以送来ル。
住(きすみ)籐吉=兵庫西脇の人、森琴石の作品所蔵者

山田可祝子、天下茶屋山崎捨三氏方ヘ引取ル
※山田可笑祝(かしこ)=森琴石3番目妻ヤスの身内
※山崎=森琴石3番目の妻ヤスの身内、鯖江の人

石野香南来ル、類焼ニ付、今日ヨリ住吉知人方ヘ一家引越旨申之
石野香南=森琴石門下
※類焼=明治42年7月31日未明に起こった火事。北の大火、俗に天満焼けと称す。
以下にある羅災・火災等の記述はこの大火災の事を指す

○夕前ヨリ、ヤス森重助 避難先松山ヘ罹炎見舞ニ行
○今日も引続混雑シ罷在也
※ヤス=森琴石3番目の妻、鯖江士族の娘(旧姓山田)
※森重助=大阪の売薬商。森家の身内か?(下に画像)
※松山=松山晩翆の事か?

四日 晴
○諸方ヨリ火災見舞来訪、人多ク有之、

○過日、松山晩翠氏ヨリ人体画揮亳候とて、伊藤渓水ヘ相託候処、揮亳出来ニ付、
直接松山ヘ差出サセ候事※
松山晩翆=美術家・森琴石の喜寿祝賀会の幹事総代を務めた(下に画像)
※伊藤渓水=大阪の画家・四条派

 

八月五日 晴
木蘓岐山翁来訪有之
※木蘇岐山(きそ きざん)=岐阜の漢詩家・森琴石と親交

平井直水氏来訪有之
※平井直水=大阪の画家・深田直城門下、森琴石と親交

川崎墨渓外一人、同道罷越し、静邨翁鑑定ヲ乞、見之、不冝(消)、偽
※川崎墨渓=愛知生まれ・写生派の画家
※忍頂寺静屯=森琴石の画の師匠    (注 森琴石鑑定=静屯の画は偽物と記述)

山田ふく、天下茶屋手前に而家借リ請、引移旨申之
※山田ふく=森琴石3番目妻ヤスの身内

○同夜、八幡筋御堂筋西ヘ入、骨董商藤原氏来リ、屏風揮亳ヲ乞、潤筆
問合有之ニ付、百五十円と相答置

 

六日 晴
○早朝、石尾氏ヲ見舞、
※石尾=森琴石門下 石尾松泉

田村甚吉氏、火災見舞ニ被来、品物到来ス、

杲田耕次郎来ル、
※杲田(こうだ)=森琴石2番目の妻ゑいの肉親

○伊豫平城仁尾重実ヨリ、石谷*山水幅送リ来ル、偽物ニ付、直ニ小包ヲ以、返却ス  
※石谷=王翬、明末清初の文人画家   (注 森琴石鑑定=石谷の画は偽物と記述
※仁尾(にお)重実=土佐 柏島水産補習学校校長
四国のやまなみ と言うサイトの中、特別読物 正岡子規著『病 牀 六 尺  全 の始めの方に、柏島水産補習学校についての記述があります。
 徳富蘇峰の資料に名が出る。

近藤家内来ル
※近藤=森琴石門下近藤翆石の事 

 

八月七日 晴

○火災後、今日迄混雑致シ、見舞人多ク一々記スヲ得ズ

東京南宗画会、九月二日ヨリ三十日迄、展覧会開催致ニ付、出品之義、山岡米華*ヨリ依頼越ニ付、近藤・西尾・鎌田・吉村ヘ出品通知致ス
山岡米華=高知県出身の画家・大展審査員
※近藤・西尾・鎌田・吉村=森琴石門下

○同夕、大和美術新報社主・槙岡西京新聞記者・石川同道罷越し、
美術上之意見ヲ聞ニ付種々相話ス

日記の翻刻者=成澤勝嗣氏(元神戸市立博物館学芸員、現早稲田大学大学院教授)

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森重助の資料
『大阪商人・その土性骨のうつりかわり』 
・・(宮本又次著(明治15年1月19日版復刻 中外書房)
付録『浪華の魁』
(明治15年1月 垣貫一右衛門編輯)
・・・・
北区の部に氏名あり(下画像の中ほど)

・・・・・・・・・・堂島中通二丁目 売薬商 森重助(小西堂事)

森重助(売薬商)

 

松山晩翆の資料
森琴石喜寿祝賀会 招待状の末尾幹事総代に松山晩翆の名

喜寿祝賀会準備文(幹事総代‐晩翆の名)

 

 

 

 

 

 

 

上記日記内の、人物などについての情報は、
森琴石HP トップページ google カスタム検索機能,
ブログwhat’s newでの検索機能にて適宜お調べください

 

 

 

 

 

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