田能村竹田の鑑定、辻東山・若林松谿・佐竹藍川・石尾松泉・河野竹堂他多数(森琴石の日記:明治42年8月12日‐20日)

2017年6月16日 更新

 

森琴石の日記
(明治42年8月12日‐20日)

日記に出る事柄・人物
田能村竹田の鑑定
師匠鼎金城の菩提寺へ類焼見舞
伊藤渓水・佐竹藍川・石尾松泉・米田如山・若林松谿
辻東山・
河野竹堂・鳥居断三
大和美術新報社・日本美術新報社・南宋画会・作画会・羅災画家の慰問金や寄付画
商家
地方の名士
揮毫画依頼多数
門弟多数・身内多数

 

明治42年8月12日 13日

 

翻刻=成澤勝嗣氏(当時神戸市立博物館勤務・現早稲田大学文学学術院教授、美術史家)

八月十二日 晴
○午前、ヤス宮地・岡田・佐々木ヘ近火見舞之礼ニ行、夕方、ヤス光吉ヘ行、
午前、毛受氏来訪有之、中元到来 朝岡、類焼見舞之礼ニ来ル

○午後、杲田老夫婦来ル、杲田、上福島ニ而宅出来候由

○午後、松山氏被来、過、渓水揮亳人体図潤筆持参ニ付、受取置、
夕方、ヤス渓水方ヘ罷越、相渡ス、

※ヤス=森琴石の3番目の妻
※岡田=岡田播陽と思われる
※光吉=森琴石の長男雄二の妻「梅子」の身内・大阪で医院を開業

※毛受=門下、毛受(めんじゅ)楽斎の事
※朝岡=森琴石門弟
※杲田=森琴石2番目妻「ゑい」の身内
※松山=松山晩翆。森琴石喜寿祝賀会の幹事総代を務めた。
※渓水=伊藤渓水 愛媛出身の画家 ・平井直水の弟子

 

八月十三日 晴
福田梅渓、過日ヨリ東京親族ニ用向有罷越し、昨夜帰宅之由ヲ以、罷越し、堀木ヘモ立寄呉候由、、病気矢張不宜由、帰路岐阜ヘ立寄候由、ヨリ団扇五本事傳、持参ス。

○小樽・雄二ヨリ大火ニ付、類焼杲田二軒、山田ふく山崎ことへ見舞トシ金五円送リ来リ、夫々ヘ贈リ呉候様、申来ル、

大和美術新報社槙岡罷越し、明十四日茨木ニ而画会開催之処、同地方炎暑、降雨無之為農家大心配、時期不宜、延期之由申之、紙本聯落画壱枚相渡ス、品物到来、

米田如山氏来ル、

※福田梅渓=森琴石門弟
※昇=森琴石長女
※堀木=昇の夫の姓
※辻=辻東山・禅宗の僧侶・著書に『隠山録』・
金宝歴代録など
備考:岐阜の金宝山瑞龍寺は、森琴石のスケッチに記録あり
※雄二=森琴石の長男
※山田ふく・山崎こと=森琴石3番目妻「ヤス」の身内
※米田如山=美術家・森琴石喜寿祝賀会の幹事総代を務めた

 

十四日 晴

午後地震有之、大ナリ、夫ヨリ小、時々震ス

○早朝、自分、ヤス、小児同道、福島五百羅漢ヘ罷越シ、先師金城先生*之墓、今回之大火ニ而如何相成候哉、見ニ行五百羅漢類焼致ス右墓牌無難、住職ニ面会、右墓所之義依頼致し置、類焼見舞トシ、五十銭収ム

夫ヨリ山崎こと方ヘ立寄、雄二ヨリ類焼見舞金送リ壱円送リ越ニ付、右ことへ相渡し、帰宅ス、

○午後、備前三石椙(杉)元素石竹田梅花書屋之大幅持参、鑑定ヲ乞ニ付、見之、偽

○同夜半、北踏切北出火有之、大井ニ混雑ス、

杲田美稲、上福島鉄道一間踏切北ニ而家有之(光本之借家)今日是ヘ引移ル、

※五百羅漢=大阪の上福島の妙徳寺の通称・五百羅漢が祀られていた
※鼎金城=琴石の画の師・妙徳寺に墓所があった
※三石=岡山県の地名
※杉本素石=画家
※田能村竹田=江戸期の画家  備考…森琴石の鑑定結果=素石が持参して来た田能村竹田の画は偽物
※杲田美稲=森琴石2番目妻「ゑい」のいとこか? 森琴石の画の斡旋者
※光本=光吉の間違いと思われる

 

八月十五日 晴

○今晩一時頃、北野茶屋町高野竹堂氏北隣出火、一戸全焼致しに付、早朝、高野・光吉・村田之三軒、近火見舞ニ罷越ス、

◎午後、作画会罷越し候、岸本日東、前之分変更、第二流之諸氏之画会トシ、其補助トシテ揮亳致候付、承諾、尺三・一枚、半切二枚、此謝儀領収ス、菓子折壱到来

◎夕方、平野町五丁目淀屋橋筋北・沼田半次郎ト申人河野添書ヲ以罷越し、絖本ニ枯木竹石合作、枯木揮亳依頼ニ付、承諾ス、謝儀領収ス、

○午後山田ふく子山崎捨三氏、罷越し、小野氏土蔵ニ預ケ有し品、引取ニ付、右暫時預リ呉候様、依頼、承諾シ運ビ来、預リ置、ヤス小野ノ土蔵ヘ罷越シ見分ケス

杲田ヨリ、大火之節預リ置候長持、受取ニ来ルニ付相渡ス

※高野竹堂=書家
※村田=村田香谷
※沼田半次郎=沼田夷服廛(読み=ぬまだいふく店…洋服の仕入れ業)

 

八月十六日 晴

早朝、石尾松泉ヲ訪フ、
○午前、和田柳渓来ル、同人画会之画尺五絖本画十枚、相渡ス、魚到来、

岡山平田謙五郎氏之属托画、帛紗*其外小包郵便ヲ以、相送ル、

○午後、河野竹堂氏来ル、一昨日之出火之見舞謝礼

○午後、山崎捨三氏来ル、

藤谷伊太郎来ル、自画・夏雨初晴図幅、函書依頼有之、

※石尾松泉=森琴石と同門=画:忍頂寺静村、儒学:妻鹿友樵に学ぶ
※和田柳渓=画家
※平田謙五郎=岡山県賀陽郡の戸長・税務署長
※河野竹堂=備後三次生れ。明治33年頃、大阪支北区北野町で医院を開業。北野町は森琴石の近所。

 

十七日 晴

○午前、朝岡来ル、過日預リ置、瑞芝之如意返却、渡ス

○午後、光吉氏来訪有之、

○美濃大垣鳥居断三氏、播磨来住藤吉氏、山梨県志村勘兵衛氏、右三軒之時候見舞トシ、団扇六本宛、小包郵便ヲ以、相送ル、

○夕方、ヤス北川熊次郎氏方ヘ近火見舞傍、団扇呈シ罷越、石尾ヘ立寄、

山田ふく罷越、家財取調、見分ケヲ致ス、

◎尾張山川重蔵ヨリ半切蘭竹図属托申越ス、承諾返書差遣ス、謝儀領収、

※鳥居断三=岐阜大垣藩の元家老・森琴石の心友。
※志村勘兵衛=東山梨郡日川村(山梨市歌田)の素封家・明治天皇行幸の際、同家が御休所となった
※北川熊次郎=大阪共立銀行の関係者

八月十八日 晴

○午前、若 林松谿ヨリ火災罹災画家ヘ慰問金ヲ贈ル寄附画二枚、受取ニ来ルニ付、相渡ス
岸本日東罷越し、作画会之画、社中ニ而三枚揮亳依頼ニ罷越ス、

杲田美稲来ル、避難之致候礼ナリ、

○名古屋・小川隆吉氏ヨリ、鳴海一反贈リ来ル

○東京・堀木芳之助ヘ中元品種々小包郵便ヲ以、相送ル、

※若林松谿=岡山県福山出身の画家・藤井松林の弟子
※社中=森琴石の一門の事
※堀木芳之助=森琴石長女「昇」の夫・銀行に勤務・堀木家は四日市の大地主。

 

十九日 晴 同夜之中、降雨

○名古屋・小川隆吉氏ヘ、鳴海絞一反到来之返礼トシ、団扇六本小包ヲ以、送ル、

○平野町丹金令閨*、近火之見舞トシテ来訪有之、菓子到来

木蘇岐山翁来ル、石野香南類焼致ニ付、知己(詩会之人々)ヨリ半切画会、来月十四日開催前後策致シ遣候様相成ニ付、補助承諾致呉候様依頼ニ付、承知ス、

吉村清琴来ル、岸本日東ヨリ依頼之画絹本三枚、相渡ス、且、同謝儀も渡ス、

◎岐阜・辻東山ヨリ、過般相送リ候画之潤筆送リ来リ、絹本尺五・十二枚送リ来リ属托有之

※丹金=屋号「山口金匠堂」・貴金属細工商
※令閨(れいけい)=他人の妻を言う敬語、令夫人
※木蘇岐山=岐阜の漢詩家・森琴石と親交
※石野香南=森琴石の門下・漢詩の師匠は木蘇岐山
※吉村清琴=森琴石門弟・女流

八月廿日

昨夜ヨリ久々降雨、今晩大雨、後晴

○午前、佐竹藍川来ル、中元持参到来ス、

南宗画会ヨリ、石尾松泉ヘ類焼見舞トシテ金貮円贈ル

○西京・日本美術商業新報社・入江久次郎罷越し、暑中見舞擴告料・金五拾銭相渡ス、

○夕前、石尾松泉氏罷越ス、○丹青堂来ル、

◎播磨・来住藤吉氏ヨリ干瓢贈リ来ル、猶、尺巾・二尺五寸位山水図壱枚揮亳属托有

佐賀県杵島郡六角村大字東郷吉村越臣氏ヨリ、自書小切一枚?湯呑壱個贈リ来ル、謝状差遣ス、

※佐竹藍川=香川の画家
※丹青堂=大阪の書道具・美術商、現存
※来住藤吉=播磨の人・森琴石の作品所蔵者

 

 

 

 

 

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