文化財遺墨の宝庫 月ヶ瀬「騎鶴楼」

2012/2/5更新

 
月ヶ瀬 について 

 森琴石が、画のテーマとして好んだものの一つに、奈良県の<月ヶ瀬梅渓>がある。

月ヶ瀬は、広域にわたる 渓谷を臨む梅景が、香世界と称され大正11年「国名勝」に指定され保護されました。これは日本で最初の指定だったそうです。1万本を超える梅が見事に咲き誇る頃、桜ほどは鮮やかでは無いが、美しくピンク色に染め上げる梅渓は見る人を桃源郷へと誘うそうです。

 

『雲来詩鈔 巻一』での 月ヶ瀬遊詩 と 騎鶴楼
●明治15年3月13日、森琴石と鑑定家「巌井蘆江 いわいろこう」の二人から、月ヶ瀬に行く事を聞かされた漢詩家の石橋雲来は、急遽その旅に同行させて貰う事となった。その翌日3月 14日から5日間をかけ、汽車や籠を乗り継ぎ、或いは徒歩でと3人は月ヶ瀬へと旅立った。

険しくも又厳しい道のりであったが、名所や旧跡に立ち寄り、奇石怪石を目にし、絶景や奇岸の光景に絶叫をあげるほど感激したという。

3人は折りに触れその情景を詩歌にし、森琴石は目にした光景を詳細にスケッチした。

森琴石はそのスケッチを元に、銅版画や巻物など、月ヶ瀬に因む多くの作品を手がけた。

石橋雲来の自著『雲来詩鈔』は、この明治15年3月での月ヶ瀬紀行「月瀬遊詩」に始まり、明治40年迄、35年間の長きに亘る<交流遊行と詩文を収めた>紀行本である。

●『森琴石作品集 Ⅲ資料編』では、この石橋雲来の「月瀬遊詩 並に記」の漢文紀行文を、多治比郁夫先生が、その旅行の様子をいきいきと読みやすい日本語文にして下さっています。

●月ヶ瀬梅渓での2日目(月ヶ瀬への旅行第4日目)の宿舎が、窪田兵蔵氏の「魁春楼」であった。兵蔵氏は風流を好み、古今名家の書画の収集をし、その多くは梅花に関わるものばかりという。

●月ヶ瀬には当時は宿舎が沢山あったが、月ヶ瀬旅行で最初に泊まった「梅武楼」を含めその殆どが姿を消してしまった。

「魁春楼」は後騎鶴楼にと名を変えたが、現在月ヶ瀬で往時の姿を留めるのは、唯一この江戸末期から続く200年もの歴史を持つ「騎鶴楼」のみとなった。
現在騎鶴楼は宿舎にはしていない。

●平成16年刊の『名家遺墨聚芳』によれば、窪田兵蔵氏のご子孫窪田輝蔵氏は漢文の造詣があり、月ヶ瀬村史の編集にも参画するなど、月ヶ瀬の文化の保護や継承に大変尽力されたそうです。現在のご当主窪田良蔵氏も文化財の保護や研究に励まれ、先代の遺志を良く継がれています。

 ★森琴石HP内「騎鶴楼」記述ヶ所
平成12年3月   http://www.morikinseki.com/chousa/h12.htm
平成17年4月 http://www.morikinseki.com/chousa/h1704.htm  他

 

「騎鶴楼」窪田輝蔵氏 と 森 寿太
●私共の父森 寿太(森琴石孫)は生前、窪田輝蔵氏とは面識、交流があったようだ。父が残した住所録には窪田氏の住所、氏名が書かれている。

●父は昭和50年代に、大阪の西天満にあり、当時身内が経営するギャラリーで、自身の趣味の俳画や水彩画や油絵と共に、森家に残る森琴石の画軸数点及び扇面などを展示したそうだ。

●父の個人的な意思で開催したという事で、当時私共は東京勤務で関西にいなかった事もあり展覧会の事は全く知りませんでした。父が所属する絵画や俳句の仲間の方たちは皆見に来て下さったそうです。
窪田輝蔵氏も来られたらしく、「月瀬真景図」を見入る窪田氏の写真を見た記憶があります。

その折窪田氏が「月瀬真景図」を撮影され、後日その焼き付けたものを送って下さいました。実家の座敷には、額に入れられた写真がずっと飾られていました。

 

「有馬の名宝」 展 ・・・・出品しなかった「月瀬真景図」
●平成10年9月26日~11月7日にかけて、神戸市立博物館で「蘇生と遊興の文化 有馬の名宝」展が開催されました。

●展覧会に先がけた初夏の頃、神戸市立博物館の成澤勝嗣先生が森家に作品の調査などに来られたそうです。

●大阪市立近代美術館建設準備室の橋爪節也先生が森琴石に興味を持ち、以前から書物や資料を収集されておられたそうで、成澤勝嗣先生は橋爪先生を誘われ森家に来られたそうです。
父寿太は平成3年12月に亡くなりましたので、来られたのは既に歿後6年半過ぎていました。

●森琴石の作品類や遺品の管理は父が一人でしていました。
せっかく先生方が来られたのですが、母は余り森琴石については詳しく無く、座敷に掛けられている長三洲の書額、写真や道具類などをご覧頂いたそうです。
母は成澤勝嗣先生から「森琴石の資料は何か有りませんか?」と聞いて来られたので、資料とは作品も指すとは思わずに、南画は何もお見せしなかったと後で述べていました。
肝心の南画作品が一つも無く、先生方、さぞがっかりされた事と想像しています。

 ●「月瀬真景図」は、その2,3年後に実家を整理した時、天袋の奥の方に置かれているのを発見したのでした。

●その後「月瀬真景図」をご覧になった成澤勝嗣先生は、真景図に添えられた衛鋳生や胡鉄梅や王冶梅の題字や跋文をご覧になり、「この画が展覧会に出せていたらなあ!!」と、大変悔しがっておられたのが印象に残っています。
成澤勝嗣先生は、自館に所蔵されている作品や資料類から、森琴石と中国の文人とがかなり親密な関係であった事を既に知っておられたのです。

●因みに父寿太は、その生前中「月瀬真景図」に添えられた揮毫者がさほど重要だとは気づいていなかったようです。

 

 騎鶴楼」への調査
●森琴石の調査を開始したのは、「有馬の名宝」展が開催されてから1ヶ月後の10月末からでした。実家から持ち帰った父の遺品類の中に、先の住所録や窪田氏からの葉書を見ていましたので、「騎鶴楼」窪田様へは殆ど苦労せずに連絡する事が出来ました。
平成11年夏、住所録の電話番号を頼りに連絡をさせて頂きました。

●父寿太と交流があった輝蔵氏は既に他界されておられ、現当主の良蔵様が電話口に出てこられました。

●森琴石の名前は、刊行されたばかりの『香世界懐古』に森琴石の作品が収録されていた事もあり、良くご存知でした。

調査訪問したい旨を伝えました。
「現在騎鶴楼は営んでいませんが、梅が見頃の時期に特別な方のみ観覧して頂いています」 との事でした。

是非訪問させて頂きたいと申し入れたところ、ご快諾頂き、訪問の1ヶ月くらい前に連絡を取り合う約束をし電話を切りました。

●平成11年8月30日
窪田様より 騎鶴楼にある森琴石の作品の写真を送って下さいました。

●平成12年1月1日
毎年森家の墓参(大阪 四天王寺)を行事としていますが、下見を兼ねて月ヶ瀬に行きました。観光協会で見頃をお聞きしたら「2月末~3月初」との事でした。頼山陽ゆかりの地「尾勝山 真福寺」や宮の芝梅林などに立ち寄る。
当時のメモには<梅林多し。想像を超える壮大な景観>と記している。

●平成12年3月9日
私共夫婦、東京の飯田知子さん(森琴石の孫、隆太のいとこ)、神戸市立博物館の成澤勝嗣先生、大阪市立近代美術館建設準備室の橋爪節也先生の5人は、とうとう「騎鶴楼」訪問を実現したのです。

その日は雪が降る寒い日で、しかも歴史ある騎鶴楼の建物は一段と寒く、家の中でも震えていました。
この年は例年より寒かったようで、梅の満開が進まなかったようです。まだつぼみが固い状態だったと記憶しています。

それよりも何よりも、騎鶴楼の筆跡類、森琴石の作品が見たい事のみに気がはやり、寒さも手伝い観梅の方には興味がいかなかったのでした。

騎鶴楼には小部屋が沢山あり、各部屋の襖には全部書画がびっしりと揮毫されており、壁面にもずらりと書画類が掛けられており、それは壮観なものでした。

襖に書かれた森琴石の書は、大変力強いものでした。

窪田良蔵様が画帖類をいっぱい用意して下さっており、それらをすらすらと説明して下さいました。その中には当然森琴石のものも含まれていました。

窪田様はメモも無しに説明されておられましたので、熱心に研鑽されておられる事が良く分かりました。

私共は当時、森琴石調査を始めてまだ日が浅かったものですから、実はそれらの書画類を見ても、落款は読めないし、政治家など、世間に良く知られた人くらいしか名前も知らない方ばかりだったのです。

先生方は、興味のある方々の作品が多いらしく、諸作品を食い入るように眺め、次から次へと頁をめくられてはしきりに写真をぱちぱちと撮られていました。
時々何か気がかりな作品があるらしく、別の部屋へと写真を撮りに行かれていました。

私たち身内3人は、研究者の先生方と一緒に「騎鶴楼」の貴重な文化財に触れさせて頂いた、拝見させて頂いた・・・・というだけで充実感を覚え感激した一日でした。

 「作品類を見る事が出来る!!」という感激の方が強く、調査状況を撮影し、先生方と一緒に記念写真を撮る事など一切念頭には無く、証拠となる写真が無い調査訪問でした。

 以来  ・・・・殆どがそうだったなあ・・・・  と、今ごろ後悔しています。

 

 2度目の「騎鶴楼」訪問
●中国と日本の学術交流を熱心に研究されている陳 捷(ちん しょう)先生が、月ヶ瀬「騎鶴楼」には研究対象となる貴重な資料が豊富であると、兼ねてより調査を希望されておられました。

「騎鶴楼」を最初に訪問した5年後の平成17年3月、私共夫婦は2度目の騎鶴楼訪問を、陳捷先生とさせて頂きました。
その折の概要は、WHAT‘S NEW? 展覧会情報 「中国近代絵画と日本」の中、エピソードで記述していますが、この日も非常に寒い日で、時々雪が吹雪いていたように記憶しています。

 捷先生は、陳曼寿や王冶梅の作品に書かれた落款に気になる情報があるとの事で、別部屋へと行かれ、それらの写真を撮りメモを取られていました。

『学海画夢』の著者依田学海が襖に書を揮毫されているのを、その時初めてしりました。

陳捷先生、学海の文章を興味深く読まれ「奥さんと一緒に来られたみたいですね」と説明して下さいました。

依田学海は遠出の遊行には殆ど愛妾「瑞香」をお供にしていたので、珍しい事だなあと感じていました。

 帰りに窪田様と陳先生が記念写真をと提唱されましたので、調査訪問で初めて記念写真を撮りました。

後日パソコンに取り入れた記念写真の画像、平成21年11月でお詫びしましたが、外付けハードディスクを損失し、画像のデータを失ってしまいました。どうやら我が家は記念写真には縁が無いようです。 

窪田様は私共の2度もの訪問を、温かく又手厚くもてなして下さいました。それは現在もずっと変わらずにお付き合いして下さっています。
本当に有難たく、感謝の気持ちでいっぱいです。

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