森琴石、銅版画の弟子あらわれる!!

2012年9月7日 更新

森琴石HP
文献抜粋 銅版画編;1『日本印刷大観 創業二五周年記念』のお知らせと補足です

森琴石の“銅版画の弟子”あらわれる!!

『日本印刷大観: 創業二十五周年記念』の中
―京阪に於ける銅版師― という項目中の文章に
中田貞矩は ~森琴石に銅版画を学んだ~ と 書かれています。

  中田貞矩は ~印刷界の大功績者~


Google Bookの書籍情報
上の書誌情報はGoogleの書籍検索機能から得たものです。
私は、森琴石の情報を得るためこのGoogle Book を1週間に一度試しています。

現在ではこの検索で、森琴石に関する書物情報は100件以上出ており、少し日数を置いて検索すると、新たな情報が増えている場合があります。
この書籍検索で、森琴石及び、師匠、門弟などの情報を多数得ていますが、情報量に比し、事後処理がてきぱき出来なくなった昨今、HPやブログへの情報公開が捌き切れない有様です。

 

中田貞矩について
 西村貞著『日本銅版画志』より
「元彦根藩士、廃藩後、一時明治政府の内命を帯び、榎本武揚に髄って北海道エトロフを游歴した事 

 があったが(島屋氏 印刷文明史第4巻)のち転身して銅版彫刻に投じた」とある。

『森琴石作品集』での熊田司先生の論文
「響泉堂刻等銅版画貼込帖」・・・所蔵者は中田貞矩?
推論と一致
★「銅版画師 響泉堂をめぐって」の中に、「響泉堂刻等銅版画貼込帖」について論述されています。
★詳細は控えますが”貼込帖”は、響泉堂森琴石のものが大半を占め、残りは石田有年、旭山の試摺が多いそうで、”貼込帖”を所持していたのは、その周辺の銅版画師であったかも知れない。と記述。続いて
   表紙に乱雑に記された「中田」「ナカタ」から連想されるのは、
やはり明治の大阪で中田印刷所を
営み、
後に石版印刷を主力として近代大阪の大立物となった中田貞矩であろう。」
と推論されている。
★『日本印刷大観: 創業二十五周年記念』、第18章 我が国に於ける銅版の源流と発達 ―京阪に於ける銅版師― での 森琴石と中田貞矩との師弟関係の記述は、京阪の印刷史を検証する上でも、貴重な一文となるのではと思います。

 

翌年出版の「日本版画変遷史」
『日本印刷大観: 創業二十五周年記念』は、昭和13年に発行されましたが、その翌年の昭和14年に、島屋政一氏は 『日本版画変遷史』を著している。
その中、中田貞矩の伝記を10行記述している。
それには「エトロフ滞在の後、京都に赴いて玄々堂及び石田旭山に就て銅版技術の技を収めた」・・・と、書いている。
『版画変遷史』では、前年の『日本印刷大観』で記述した<森琴石に学んだ>という事には全く触れていない。恐らく知っていたはずなのに・・・と、疑念を覚えます。

島屋政一氏の“印刷史” 関連書物
島屋政一は『印刷文明史』や『近世印刷文化史考』、『文化と印刷』、『印刷美術大観』など、実に多くの印刷史関係の書物を著している。
中井貞矩の娘婿となった「中井熊次」の歿後には『聖山中田先生伝』をも著している。
我が家には島屋氏の著書類が無い。
古書でも高い所為もあり『日本版画変遷史』は、森琴石に関係する頁の前後のコピーしか有りません。
少ない資料で云々するのは筋違いですが、これまでに多くの研究者が、印刷史や版画史について研究を進め発表してこられましたが”森琴石と中田氏との師弟関係”の事は 出てこなかったと記憶しています。
これは即ち『『日本印刷大観: 創業二十五周年記念』が、余り人の目を引く機会が無く、研究者の参考資料としては使用され無かった所為かも知れません。
そのような意味合いからも、Google Book から得る情報は、本当に有難いと思いました。

 

後は研究者の方々におまかせします
以上、素人が拙い文章を書きましたが、資料の公開にとどめさせて頂き、後は研究者の方々におまかせしたいと思います。

 『日本印刷大観 創業二五周年記念』 と、不思議な縁
★昭和4、50年代 “日本の製版技術者として三指に入る” と言われた 私の父野村廣太郎と文章内の人物とはかなり関係があるのです。
★かなり私的な事なので、父の事など記述するのはどうか?と、大分悩みましたが、森琴石とも関係があり、又印刷史にも関係してきますので 後月、what’s new「閑談・雑記」の項ででもご紹介したいと思います。

 

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